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そこまでして避けるのか

ちょっと細かい部分の説明が難しいのですが、今日はアゼルバイジャン語の話を少々。

例によって単語をながめていますと、ある法則というか傾向に気がつくのですが、その話に入る前にまずはアゼルバイジャン語のラテン文字アルファベットのおさらいをしておきましょう。

ずいぶん以前ですが、noteでも紹介したことがあります。

このうちひとまず大文字表記が充てられているものの、実際にはその文字で始まる単語が事実上存在しない(したがって、文の最初にも来ないので当該大文字は事実上使うことがない)というものが2つあります。

一つは、Ğ (ğ)です。語頭が"ğ"の単語は、アゼルバイジャン語にはありません(ありません、と辞書にも明記されていたりします)。これについてはトルコ語の同じ文字(発音は違いますが)であるĞ (ğ)も同じなので、トルコ語から入った身からするとまあわからないでもないのですが…

ただしもちろんこれはこれで、トルコ語のĞ (ğ)のほうは発音をしないか、前後の母音を伸ばしたりすることを表す字母なのに、アゼルバイジャン語のそれは[ɣ](有声軟口蓋摩擦音)という対応する子音があるのに語頭に来ないという点では興味深い現象ではあります。

そしてもう一つ、アゼルバイジャン語にはI(ı)で始まる単語がないのです。

I (ı)というのは、俗にいう「唇を横に引っ張るようにして『イ』の口の構えで『ウ』のように発音する母音」に対応する音です。

ちなみにですがこの文字と発音も観察していると、本当に国際音声字母表記は[ɯ]でいいのかどうか。細かいところですが、発音としては[ɨ]あるいは[ɪ̈]のほうが正確な気もしてきました。ちゃんと検証したほうがよさそうですが…

上記チャンネルのリンクでもわかるように、アゼルバイジャン語ではこのI (ı)という音は必ず語中か語末にしか出てこないという特徴があります。「そこまでして避けるのか」と改めて思ったのが、昨日この単語を見たときで…

(1)
ildırım 「雷」
(2)(cf. トルコ語)
yıldırım「雷」

ほかにも、ilıq「暖かい」(cf. トルコ語はılıkで「暖かい」)、işıq「光」(同じくトルコ語ならışık「光」)といったように、なにか理由があるのかというくらいにアゼルバイジャン語では語頭にI (ı)が来るのを回避しているのです。

さて、なぜこのことが個人的にひっかかるのか。以下、少しだけ具体的に説明してみます。

発音するときに舌の盛り上がりが前のほうの母音なのがİ (i), 対して舌の盛り上がりがやや後ろ寄りのI (ı)は、互いに別の母音グループに属することになります。

この異なるグループに属する2つの母音が1語内に同時に出てくるというのは、アゼルバイジャン語全体に適用されている「1語内の母音の特性をできる限り同じものにする」という、母音調和のルールに反してもいます。

(3)
a. youn 「疲れている」(o, uはいずれも『後舌母音』で同じグループ)
b. dünən 「学生」(ü, əともに『前舌母音』で同じグループ)
c. səkkiz「(数字の)8」(ə, iはいずれも『前舌母音』で同じグループ)

(3)に示すように、アゼルバイジャン語でも母音調和のルールは全体としてかなり厳密に適用されます(外来語の母音構成はこの限りではないのですが、それでも接辞などがつけられる場合はこのルールが厳密に適用されていきます)。

このことを考慮すると、上に書いたように「母音調和ルールをあえて無視してでも(単語の頭にI (ı)が来るのを)避けるのか…」という感想を持つというわけです。

そんなわけで、語頭にĞ (ğ)またはI(ı)が来ない案件。
音韻論的に何か理由というか、動機があるのかどうか。なんだろうなこれ?と思いながら、単語リストを細々と作り上げている今日この頃です。

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