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【対馬旅行記(2)】全力で南北縦断するの巻

2024年7月20日、いよいよレンタカー移動で対馬をできるだけ見て回ろうという1日になりました。早朝、6時半にはホテルを出発したのではなかったかと記憶しています。ややぼーっとしていたかもしれませんが、とにかく交通事故にだけは気をつけて出発です。

とりわけ、対馬での車の運転は気を遣わなければならないと思っていました。レンタカーでも旅行先で事故など起こしてしまったら大変ですし、それは当然としても山間部などを走る時はヤマネコさんが飛び出してくるかもしれないと思っていましたから。

実際にはヤマネコは相当少なくなっているのだそうで、出くわしたら出くわしたでかなりレアな経験だったのではないかということでしたし、運転中に道路わきからヤマネコが飛び出してくるということも経験しなくてすみました。よかったよかった。

さて、7月20日早朝。
まずは厳原町から南下して、豆酘(つつ)という地区を目指します。ひとまずは南の灯台を訪れておこうかと言う、実に軽い気分で出発しました。まさか、灯台までの道があれほど狭いものだったとも知らず…。早朝だったのが幸いしたか、運良く狭い道で対向車には遭遇しなかったのですが、一台でも出会っていたらと思うとわりとぞっとします。事案確実だったかも…。

なんとかたどりついた豆酘埼(つつざき)灯台。もう頭の中はあの狭い道をどうやって帰るかということだけでしたが!
この日は霧が多い日だったようで、のちに訪れた北部の展望台なども天気はよかったのですが海の向こうはなかなか見えませんでした。

よしよし。なにはともあれ、南部はこれで制覇した(したことにする!)。

ということで、対馬の南端の地から北上開始していきます。
厳原に再び戻るようなルートで厳原を通過した後、小茂田濱神社へ。途中の山道を車で走るだけでもよい気分転換になったと思います。

遠いな~、とは言いながらでしたが。

まったく不勉強なまま訪れたのですが、ここは古戦場跡地だったのですね。元寇でモンゴル軍が上陸した場所とのこと。

湿気がすごくて、カメラのレンズ部分が結露してしまっていました。なんとか拭きながら撮影してみたのですが、これは何かいい方法があったのでしょうか?
小茂田濱神社の境内入口あたり。
元寇で勇敢に戦ったという宗助国(そう すけくに)が祀られていました。

さて古戦場、蒙古軍襲来の跡地も見終えたので、次なる目的地に。
次は和多都美(わたづみ)神社に向かいます。実際に車で移動してみると、かなり遠かった…対馬の広さ、まだまだなめてかかっていたというか、チリ感覚をつかむのに時間がかかりました。

小茂田濱神社からだとまた国道まで戻らないといけなくて、その間対馬やまねこ空港を通過して、さらに万関橋も通過しまして、1時間程度は車で移動したのではないかと記憶しています。

和多都美神社境内にあった「身代わり鳥居」。台風で破損したということでしたが、文字通り「身代わり」になってくれたということでこのような形で記念に置かれていました。
この景色は伝わりにくいと思うのですが、見ごたえありました。
海中鳥居が嫌いな人はいないでしょう…?

ところで、この和多都美神社があるのは豊玉町というところなのですが、対馬の豊玉町と聞いて、ふと高校時代の同級生を思い出すなどしました。長崎市から見ると、かなり遠くまで来たなあと思うほどには対馬違う景色と環境に見えました。

ここで生まれ育って、高校から島を離れて長崎市内の高校まで彼らは来ていたのかと思うと、いまさらながら(本当に今更ですが)大変だったろうなと思います。高校当時のいろいろなことを思い出しながら、彼らはその後どこでどうしているだろうかと思い返す、7月20日午前の旅行道中でありました。

さて、和多都美神社を見終えたあたりで空腹になってきたので、食事ができる場所に向かったのですが…

(次回に続く)

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