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【アンカラ滞在記】今思えば、もうちょっと国内旅行しておけばよかった:イズニックの風景など

この記事は、シリーズ連載『アンカラ滞在記』の一部です。以下のマガジンに関連記事がありますので、そちらのほうもぜひご覧ください。

渡航前は、アンカラでの生活が始まったら週末は国内を旅行しまくろうと思っていました。とにかく風景を撮っておこう、そしたらいずれ帰国した時にコンテンツとして役に立つはずと。

ところが、現実は甘くない…いざ日本語講師として着任すると、授業の準備には追われるわ、雑事には追われるわで、とにかく体力を持っていかれます。そうすると、週末は家でぐったりしてしまっていて、とてもではないが長距離バスターミナルまで足を運ぼうという気力がわきませんでした。

とりわけ、最初に引っ越したアンカラの西のはずれの街に住んでいた頃などは、まず街の中心部まで行くのにも気力が必要で、今日は書店に行くんだ、とか人に会うんだ、といった用事を作らない限り、外出する気力を出すのも容易ではなかったと振り返れば思います。

まあ、こちらが歳をとっていたという要因もあるでしょうね…たぶん。なんせ、アラフォーでしたから。すでに。

そんなわけで、今写真フォルダを見返してもトルコ国内の風景写真がもう一つ足りないというか。たとえばキュタフヤなど、一度行っておきたかったのに、結局行かずじまいになってしまいました。

そんな中。先日、界隈でイズニックという地名が出た時、おお…そういえばイズニックには行けたなと思い返しました。これも中心部に引っ越した後のころです。引っ越しのメリットの一つに、その長距離バスターミナルが近くなったというご利益はたしかにあったように思います。

イズニック(İznik)、又の名をニカイア。ここには、滞在中一度行ってみたいとずっと思っていましたから、引っ越ししてすぐの夏休みの時期に1泊2日の旅程で行ってきました。

アンカラからは、バスで7時間ほどだったでしょうか。まず、ブルサ(Bursa)という近郊にある街(ちなみに、トルコでも上位にランクインする大都市です)のバスターミナルに行きまして、そこからミニバスに乗り換えて行きました。

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んー。イズニック湖。なのですが。
もうちょっと画質のいいものが残ってなかったのかなあ…おそらく、当時のスマホで撮影したのだと思いますが、画質が荒い。天気もたしかあまりよくなかったと記憶しています。

それでも、せっかく1泊するんだからということで、けっこう快適な宿に泊まったことだけは覚えています。当時は家でねこを飼っていませんでしたので、振り返れば気楽に旅行できる時期ではあったのです。もちろん、予算との兼ね合いはあるわけですが。

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イズニックは陶器が有名。オスマン帝国期も、イズニックタイルで名を馳せた地ですね。なるほど、現地に行ってみるとお土産物屋さんが点在していて、各所でカラフルな陶器が売られていました。

たしか、ターコイズブルーのねこの置物を2、3個ほど買ったのですが、日本に持って帰って来れたかどうだったか。

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こんな感じの。店内で写真撮ってもいいですか?と聞くと、快諾してくださいました。さすがトルコ、このへんがおおらかです。

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個人的イズニックの思い出はこれですよみなさま…ツイッターでも一度ネタにしたのですが。お昼食べようと思って、その辺の食堂に入ったんです。そしたら、「ピデ」というトルコ的パン料理を出すというので、ああじゃあ、ピデをいただこうと思って…で、出てきたのが上の写真ですよ。

「長!」って声に出しましたもんね…しかも外国人だから目立ったのかどうだったのか、とにかく周りがこちらをジロジロ見るんですよね!そういう時に限って!

おいしかったんですけど、同時にものすごく恥ずかしかったという。楽しくも苦い思い出です…

とはいえ、イズニック。
こじんまりした街で、悪い意味での観光地化もしていない。サフランボルの旧市街区といい、私はどうもそういった静かな街を一人ふらふら歩くのが好きなようです。

イスタンブルはイスタンブルで、毎回遊びに行くのが楽しみでしたけど。どちらかといえば、地方の小さな街、それもトルコの人たちの普通の生活が見られる街を見ることで安らぎを得ていたな、と思います。

1泊して、翌日の午後にアンカラに戻るバスに乗るために再びブルサに戻りました。どうせなら、ブルサも18年ぶりに見ておこうか、ということで。ウル・ジャミイというブルサ中心部にあるモスクを見学したりなどしました。

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内装、壁に描かれた文字に目を奪われました。これは、アラビア文字を使ってモスクをイラストで表現しているのだと思って。アラビア文字読めないおじさんですが、その立場で見てもカッコいいなこういうの、好き…となったことでした。

アンカラにいる頃はそういったわけで、ずっと外に出ないのも精神的にきつかった一方、気力・体力的にはなかなか市外に出られなかったわけですが、そんな中でも違う景色を見ることで、また元気が出てきた…ということはあったように思います。

繰り返しになりますが、もうちょっといろんな都市を訪れるべきだったなと思いますが、今それを言ってもきっと…詮ないことでしょうね。

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