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2014年のバクー初訪問を語る(2)

この記事は、前回の続きの記事になります。

到着した日の夕方、アゼルバイジャンにいる日本語教育セミナー参加者のみなさん、ジョージア(当時はまだ「グルジア」と呼んでいましたが)からの参加者のみなさんと食事をご一緒しました。初のアゼルバイジャン料理でしたが、カバブ(肉料理)がごっそり出たのだけ覚えています。トルコ料理と同じではないのですが、やはり共通項は多いのかなという印象でした。

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写真ぶれぶれですみません。とにかく肉、という感じでした。すげえなという当時の感想。

その後少しだけ市内観光。景色を見に行こうということで、フレイムタワーとその近くの「殉死者の小道」(Şəhidlər xiyabanı)へ。

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バクーを象徴する有名なビルということで、同市街地の紹介でもたびたび登場します。夜はライトアップされている。

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アルメニアやロシアとのいろいろな歴史、あるいは出来事を、ここを歩きながらレクチャーを受けました。不勉強にして、今回ここに来るまでほとんど何も知らないでいました。

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殉死者の小道は丘の上にあります。こうやって、市街地が見渡せる場所に。肉眼で見るほうがもちろんですが見応えがあります。

ここに辿り着く方法はいろいろあります(その後何度かバクーを訪れたときに少しずつ土地勘をつかんでいった)が、このときはチャーターしてくださっていたミニバンで先生方と同行しました。

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宿の近くまで歩いている途中に撮った町の看板。アゼルバイジャン語は当時ほとんどわからなかったのですが、「金利を下げました!」と書いてあるのだなということはトルコ語あたりから見当がつきました。

とにかく、このときの訪問では街中のアゼルバイジャン語に魅了されました。トルコ語とどれくらい近いんだろうか、どのへんで違いが出るんだろうかと。詳しく調べてみたいなと思いました。

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宿に戻って、両替してもらったマナト(アゼルバイジャンの通貨単位)紙幣を眺めてみます。俺今外国にいるんだな、を実感する瞬間の一つ。紙幣のデザインにへーとかほーとか言いながら、この日まではほぼただの観光客となっていたようです。翌日の発表がもちろん大事だったわけですが…

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というわけで、翌日会場となったバクー国立大学へ。このときはまだ、その後何回も訪れる場所になるとは想像していませんでした(それを思えば、その後アゼルバイジャン語と関わる機会を何度も得たのは幸運の極みでした)。

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懐かしい、当時の日本語学科のLL教室。だいぶ年季の入った雰囲気でしたが、日本語教育の現場のリアリティを垣間見たという感想でした。みなさん(教える側も教わる側も)、ここでがんばっていらっしゃるんだなと。

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折り紙人気は定番。これは後に自分がトルコ、アンカラに赴いたときにも感じたことでした。

さて、セミナー。大した内容の発表ではなかったのですが、とりあえず事故なくこなしたと記憶しています。ただ、言語学的な内容を、厳密には専門でない方向けに用意するのはこんなに難しいのか、という感触だけ覚えています。

午前にゲストスピーカーとして呼んでいただいていた自分の話を終えて、午後からは先生方の実践報告や研究発表を拝聴するという流れでした。

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アゼルバイジャンは、チャイ(紅茶)にカットレモンが入るのがデフォルトなのだなという発見。トルコのチャイでも入れることがありますが、トルコの場合は望めば入れてもらうという感じだというのが私の理解です。

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とにかくアゼルバイジャン語が気になるお年頃でした。これは学生向けの激励、および心構えを記したもの。「君はバクー国立大学の学生なのですよ!」という趣旨のことなどが書かれてあります。

1日目も無事終了。現場でがんばっておられる先生たちの発表も興味深く聴きました。解散後、市内散策に案内してもらいます。日が明るいうちの市内見物は、ありがたい以外に言葉がありません。

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ワインはşərabなのかあ、トルコ語ならşarapだが。1語中の母音調和がおこってない(əとaはグループが違う)のは面白いなあ。ワインショップの看板を見ながら、そんなことを考えていました。あと、この写真は見切れていますがaçıqと電子掲示板の表示を見れば、「あ、『オープン(開いてます)』はそう書くのだな、フフンワイにはわかるで…なぜならトルコ語はaçıkだからな」、等々。

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自分のもっているトルコ語の知識とすり合わせをしながら街中を見るので、飽きることがありません。その後どなたかに「いやあ、バクーって見るべきものが少ないですよね」と言われたこともあるのですが、とんでもないと思っていました。街中のアゼルバイジャン語見てよ、と。面白いじゃんと。


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これは懐かしい街中の両替所のレート表示。この後、アゼルバイジャンの通貨価値がかなり下がってしまったことがあり、両替ができなくなってしまうとあっという間に両替所が市内から消えたことでした。

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右手にカスピ海を眺めながら、海岸公園を案内してもらいました。ここが市民の憩いの場の一つになっていることなどを教わります。

続いて、イチャリシャハルという旧市街部分も案内してもらうはずだったのですが…

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突然の雪。加えて、バクー特有の強風(バクーは本当に風が強いのです)。ひえー!寒い!バクーの洗礼もこのときしっかり受けたのでありました。

歩きにくくなったということで、この日は早めに切り上げて宿にみんなで戻りました。夕食も宿で用意してもらっていて、その後ジョージアの先生たち、アゼルバイジャンの先生たち有志の情報交換に参加させてもらいました。

そのときの会話の詳しい内容は覚えていませんが、アルメニアとの微妙な関係が日本語教育にも影響を及ぼしているという話を聞いたことだけは覚えています。特にアゼルバイジャンとの緊張関係が、日本語教育での協力関係にも思い切り影響を及ぼしているということ。このときのようにアゼルバイジャンで開催すると、アルメニアからは参加しにくくなるし、逆もまた然りで…等々。

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当時まだ日本語教育にはほとんど関わりがない身でしたが、それでも大変ためになる現地ならではの話をたくさん伺うことができました。来てよかったというか、呼んでいただいたのは幸運だったなと心から思ったことです。勉強になることばかり。

(あと1回だけ続く!)

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