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島原半島に行ってきました

気分転換をしたいということで、昨日は長年の交流があるトルコ語話者(偶然長崎在住なのだ!)を誘って、島原半島方面に行ってきました。個人的には南島原市内を少し見てみたかったということがありました。

また誘った相手もあまり長崎を色々見ていないということだったので、雲仙と島原でも見てもらおうという意図もあり。こちらとしてはトルコ語を使う1日というだけで贅沢そのものです。自分が一度行ったところも見せていこうということで。

まずは旧小浜町から雲仙国立公園方面へ。「地獄」を見てもらいました。

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外出も大変な昨今ですが、人出がそれなりにあったのでひと安心。長崎の経済は最近の大きな関心ごとの一つなのです。我々二人はえらく目立ってしまいましたが(めちゃめちゃ見られた)、まあいつものことだから…

1時間ほど雲仙地獄めぐりをした後、私が目当てにしていた南島原市方面へ。山道経由で行ってきました。山道経由なら、そこまで南島原も遠いという感覚はないなと思いましたが、海岸線だとずいぶん奥の方まであるなという感覚。

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最近世界遺産に認定された、「長崎と天草地方の潜伏キリシタン関連遺産

世界遺産のまち南島原」の構成遺産となっているのが「原城」跡。例の「島原の乱」の戦場となったところですね。 

今は原城「跡」ということで、本丸などはもちろん残ってはいないのですが、本丸跡地には墓碑などが残っています。

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こちらが天草四郎の墓碑(お供物のところ、もうちょっときれいにしとかんもんかな…とは思いましたが)。実在する人物だったんだ…と今更ながら、改めて(私は高校時代、カリキュラムの関係で日本史に一度も触れなかったのです)。

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四郎よ安らかに。それにしても、天草がこんなに近く感じられるとは。感覚としては、島原と天草はほぼ地続きですね。いや海は挟むけどさ。それはわかってはいますけど。感覚として。

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原城跡を後にして、島原市方面へ。途中の道の駅で、91年の普賢岳噴火のときの、土石流で被災した家屋が保存されているのも見ました。

うおー。本当にそのまま残しているのですね…

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そういえば、ここは深江町なのだな。当時たしか中学生だったと思うのですが、連日テレビでこの災害のニュースを目にしていましたから、深江町という名前はよく記憶しています。

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あんな遠くの山から、ここまでか…と思わせる一枚です。自然災害の恐ろしさですね…

島原めぐりのラストは、やはり島原城だろうということで、島原城に。久しぶりに来た気がします。2年ぶりくらいだったかどうだったか。

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城下町、「鯉のおよぐ町」近辺にて。鯉はトルコ語でsazanだということを思い出すなどもしました。いたるところでこの時期に目にする「鯉のぼり」をトルコ語でどう説明したものかね、という話などもしながら(結局、"Sazan uçurtması"あたりじゃないか、という話で落ち着きました)。


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道中の会話はほぼトルコ語というので、こちらも久しぶりの感覚でした。やっぱりトルコ語は普段から使わないといけないよ。

普段、トルコ語の授業などもしていますから忘れなさそうなものですが、そういったところで使うトルコ語では、文法の解説などもしますから、実はかなり内容が限定されるんですよね。

そうじゃなくて、生活そのものをトルコ語にしなきゃいけないなと。実際、アンカラにいた時よりもかなりつっかえてしまうことが増えたと昨日は実感しました。「話す」と「聴く」機会をなんとか作らないといけないな、と。

というわけで、南島原にも行けましたし、雲仙神社でお参りもしました。いい天気でよかったし、海と山の景色が最高です。みなさんも疫病が終息したら、ぜひドライブがてら島原へ足をお運びくださるとよいかと。

私もやる気が再び出たところで、これで今年のゴールデンウィークは論文書きとトルコ語の勉強に集中できそうです(フラグ?)。Umarım.

こもりますよ。今年のゴールデンウィークは。
進捗だ進捗。進捗こそ正義だ。

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