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【ウギャーさん流】外国語に触れるときの4つの心構え

この記事は、外国語に興味はあるけどなかなか一歩目が踏み出せない、という方を想定して書きました。ただし、外国語学徒たるものかくあるべし、という趣旨ではありません

むしろ逆で、なんなら完全に無視してください、という類の言葉です。実際、この記事の最初の心構えにそう書きました。私はこう言う風に考えていますよ、ということを書いてみただけということです。

また、すでに外国語に携わっている人からすると、何を今更?という内容だとも思います(それに職業柄、私の周りは圧倒的にそういう人が多いです)。

ですので、そのような方に向けて書いた記事でもないということをご了承ください。以上、ディスクレーマーです。

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私個人の経験も踏まえて、ひょっとしたらこんなことを言われて(あるいは考えてしまって)なかなか外国語にとりかかる勇気がないです、という方がけっこういるような気がしています。

ですので、この記事はそんな方への応援の意味を込めて書いてみました。思いつくままに「4つ」としました。他にもいろいろあるかもしれませんが、今回は、私が特に重要と考える4つの心構えです。

始める前に、私自身のことを少し書いておきます。私は地方(ご存知、長崎)から大阪にあった外国語大学に進学し、学部からは現在まで一貫してトルコ語の学習者として現在に至ります。トルコ語以外にはテュルク諸語に関心があり、特に最近はアゼルバイジャン語を独学で勉強しています。

自分がトルコ語を始めるときに、順風満帆で世間の誰もが応援してくれていたか?まずそこから考えていきますと、やはりいくつか、心を折ろうとしてくる阻害要因はあったと思います。

大きくは四点あるかな、と思います(最初三点かなと思いましtが、やはり四つにします)。一つは周りの(ときにとても迷惑な)助言、一つは他人との比較、さらに一つに挫折するかもしれないという恐怖感、それともう一つは義務感。

この四つの要因に絡めて、「心構へ」(こころがまえ)を書き綴ってみようと思います。

心構えその1. 「他人の助言は、原則として聞かない」

私は上述の通り、高校の時点で外国語大学、それもトルコ語専攻に入学すると決意しました。決意すると、遅かれ早かれ他の人にそれを伝える必要が出てきます。

もし大学進学のように、両親からの経済的な支援が必要な場合は、がんばって説得するしかありません。がんばってください(需要がありそうなら、自分の経験しか話せませんがそのこともいずれ書きましょう)。

この記事ではそれとは別に、それ以外の第三者から出てくるかもしれない悪魔の一言に対して。「その、◯◯語をやっていったい何になるの?

私も、何回も言われました。ときに悪意のない、しかし悪魔の一言です。めちゃくちゃ言われた。高校の先生にすら言われました。やめとけと。なんでトルコ語なんだ、と。

(ちなみに高校では、もっと「メジャーな」学部を目指しなさい、とも言われました。この助言はこれはこれで正しかったなと今は思うのですが、ややテーマがずれるのでこの記事では触れないことにします)

自分は、こう思っていました。興味を持ってしまったんだから、仕方ないと。では興味を持つな、とおっしゃるのですか?と。無理でしょう。だって興味もっちゃったんだもん。

それ以上でもそれ以下でもありません。始めたいと思ったからには、もう始めるしかありません。というか、始めてよいのです。自分の好きなタイミングで。

運よく大学の合格通知を受け取ったとき、いてもたってもいられず長崎のメトロ書店にすぐバスで向かって、以前からずっと欲しいと思っていた(けど、受験科目に集中したいというので合格するまで買うのを我慢していた)白水社の『エクスプレス トルコ語』を書いました。

(だから、今再び地元となっているメトロ書店には格別の思いがあります。現物を置いていてくれてありがとう!メトロ書店よ永遠なれ!!)

96年に買った当時は、付属の音声資料がたしかカセットテープ(別売だったかも?正確に記憶していないです)でした。テキストを買ったときにカセットを再生したかどうかすら覚えていないのですが(のちに付属CDになったと記憶しています)…ともかく。

うおーこれが夢にまでみたトルコ語か!!は?Görüşürüz(トルコ語でお別れの『またね』の意)??なにこのöとüの連続押し売り!!となっていたものでした(もちろん母音調和?なにそれおいしいの??状態でした)。まさしく、喜びと感動の瞬間です。

(ほら、まだちゃんとはじめてもいないのに外国語に手を出したご利益があらわれているじゃありませんか!)

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(語学書や辞書を手に入れる喜びは、今も同じです。写真はアゼルバイジャン語の教材や書籍などを手に入れたときの写真。うれしいから撮ったのでしょう。我ながらわかりやすい…)

ということで。一言でまとめれば、我が道をゆけ、ということですね(それを長々と解説するとこうなりました)。

心構えその2.「他人と自分を比べてはいけない」

「比べる必要はない」ではなく、あえて強めに書いてみました。比べてはいけないのです。そもそも。学校で習う英語が(不運にも)そういうシステムになっているだけ、と考えた方がいいと思います。

他の人がなかなか身につけていないだろうという淡い期待も少しもって始めてみたトルコ語でしたが、大阪に引っ越して大学で始めてからは、トルコ語の使い手がびっくりするくらいたくさんいました(当然ですけどね)。

それで、自分がトルコ語をやって何か意味があるのか?と悩んだ時期がありました。追い討ちをかけられるように、留学でアンカラに赴いたときは、現地に在住している同胞の方々のほれぼれするようなトルコ語を耳にしたときのあの衝撃です。

「トルコ語を専攻している」という当時の小さいプライドを大いに傷つけたという恥ずかしい過去があったことを正直に書いておきます。

だけど今なら、当時の自分にこんこんと正座させて説教できる自信があります(まあさすがに正座は言い過ぎですね。すみません)。いつから、他人と競争をはじめたんですか、と。誰も比べなさいとは言っていないのに、です。

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(カッパドキアの自然を眺めれば、競争ということなどすぐ忘れられます。知らんけど)

むしろ、自分が他人を気にしないである程度その外国語を習得しさえすれば、その言語を話せる人がまた一人増えたという、誰にとっても好ましい状態になるじゃないですか、と(実際、誰も不幸にしないでしょう)。

というわけで、マウンティングに付き合わされないこと。自己防衛の手段でもあると思います。外国語どっちができるか競争は、あまり幸せな結果にならないと私は思います。ここもまとめるとやはり我が道をゆけ、ということですね。

心構えその3.「『挫折したのではない、今は休んでいるのだ』と言うべし」

この他に、「◯◯語をはじめた!と宣言してから、あとで辞めたらかっこ悪いと思われるかな」ということが心配になる、という人もいるかもしれません。結論からいいます。心配するべき類の問題ではありません。

たとえば、今私のこの文章を書いている部屋には、語学書だけ並んでいる棚があります。どの外国語についての本が並んでいるかというと、テュルク系の言語はもちろんですが、ペルシア語、アラビア語、グルジア語、朝鮮語、ロシア語、ドイツ語、等々(思えばお金を使ってきたものです…もちろん、後悔はしていない)。

で、これらのうちどれくらいものにしたか?ということですが、トルコ語以外はほぼゼロに等しいといえます。アラビア語なんて、ほぼ知識ゼロに近い状態です。ペルシア語も第1課で手が止まったまま、現在に至ります。

もったいない、と思いますか?私自身は全くそう思っていません。始めていないけど、いつ必要になってまた始めるかわからないですから。また、諦めたわけでもありません。

まったく手をつけていないものでも、むしろ来るかもしれないそのときに備えて、あらかじめ買っておいたんだと考えるようにしています。

もし、「ペルシア語のテキスト買ったんだ。で、どれくらいできるの?」と言われて、「いやまだ始めたばっかりで、そこから進んでいませんね」と答えて、「なんだよ買っただけなのかよ」と、仮に笑われるようなことがあっても気にしない

買ったというそのことに意義があると思っているからです。また、そのまま辞めるかどうか、続けるかどうかも含めて決定権は自分にあると考えることも大事だと思っています。

また関連することなのですが、私は「(お金に余裕があって入手可能なら)迷わずにひとまず買って自分のものにしておく」ということも大切だと考えます。

そもそも、何にどのくらいお金を使うかはその人の自由なわけで、少しでも興味を持ったらとにかく自分の近くに、その対象言語に関係するものを買って置いておくことが重要だと思っています。

どうしてもお金がないけど現物が見たい!というのであれば、公共図書館や学校の図書館を利用しましょう。でも、それもひとまず今のところは、と胸に秘めておきます。いずれは自分で投資してそれを入手するつもりで。

これで、迷う可能性のあるポイントを一つ除外したことになります。またしばらくして、「あーやっぱり◯◯語やろうかなー」という気持ちが強くなったときに、たとえば先日買ったその教科書がすぐ手の届くところにある場合とない場合を想定してみてください。

すでに手に入れていたら、すぐ始められるでしょう。

手に入れてなかったら、また買うかどうか悩まないといけないですね。

同じことで悩むのは、冷静に考えたらもったいないです(何回も悩むというのは、長い目で見れば意味があることではあるかもしれないけど)。そして結局、その語学を始めて軌道に乗ってきたと思うときにこう思うはずです。

「もっと早くやっておけばよかった」と。私もアゼルバイジャン語の独学が軌道に乗ってきた頃(始めてから3ヶ月くらいたった頃でしょうか)にそう思った記憶があります。言っても詮無いこととわかってはいながら。

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ということで、一言でまとめるとやはり「我が道を行け」、ということになりますね(それだけのことをこれだけ駄文で飾ると言うのもなかなか業の深いことをしている気がしますが、気にしないことにしよう)。

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ここまで読んでいただき、ありがとうございました。ここまででも結構言いたいことを書いたのですが、最後に、心構え其の肆(四)が残っています。其の参とも関係する内容ですが、最近ずっといろいろな人に伝えたいと思っていることです。以下、興味のある方がもしいらっしゃったら、ぜひ「投げ銭」にて…

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