前回の更新から、すっかりほったらかしにしていましたこの企画。
クムク語といえばLPP(『星の王子さま』)ですね。ヌリヤーナ氏の力作たるクムク語訳本から、第2章を見ておこうということで始めたこの企画。やはり完走させないことには…ということで、勤労感謝の日たる今日、頑張って進めてみますか。
では、前回の続きから開始します。文の番号は通しで(11)からです。
動詞の現在形で語幹末が/a/や/e/で終わっている場合は、「現在」を表す接辞は-yになります。そんなわけで文頭の動詞tile-は「願う」ですから現在形はtiley, 1人称単数の付属語がさらについてtileymenとなっていますね。
あとは代名詞menが方向格をとるときに"mag'a"となっていることにも注目したいところです。ある種の母音交替が起こっているのですが、これはトルコ語にも似たようなことがあります(ben「私」は方向格語尾をとるときにbana「私に」となる)。そしてここでもqozunu(「羊の」)は名詞qozu-「羊」所有格で、形の上では目的語格と同形ということがわかります。3人称代名詞は"o"と"ol"の2つの形があるそうですが、ここではolとなっていますね。
最初の文は文脈を考慮しても、前の文の命令に対する問い返しという解釈で間違いないところでしょう。
depは成り立ちとしてはグロスに書いた通り動詞「言う」の連用形ですが、ほかのテュルク諸語にもみられるようにある程度語彙化して「~と、~といって」のような接続詞的な語となっているとみなすこともできるように思います。
あとは、bol-「ある、いる、なる、etc.」がここでは助動詞「~できる」として用いられていることが目に留まります。
では本文の続きを見てみましょう。
ここは王子さまが再度「羊の絵を描いて…」と「ぼく」にお願いしているところですね。「絵」がsurat、そのあとに所有語尾が来ているので、文頭のQozu-nuの格が所有格である(目的格ではない)ということがわかるというわけです。
ところで今回のこの執筆をやっていてふと思ったのですが、ひょっとしたら「格語尾で所有格と目的格が形式的に同じなのに混乱が起こらないのはなぜか」というのは短い論文のテーマになるかもわかりませんね…
何か面白いことが言えそうなら真面目に調査してみようかな、と思いました。まあまあそれはそれとして、次にいきますか。
これは自分にとっては特に難しい文でした。
まず冒頭、Baš「頭」じゃなくてBašlïg'になっているので、これは頭にかぶるものだと解釈しました。主人公は飛行士でしたから、飛行士のかぶる帽子のことかなと。
そのほか、köküre-という動詞を同定するのにやや時間がかかりました。「ゴロゴロと音が鳴る」という、またなんとも意味が限定的な感じがする動詞ではあるのですが、kök köküre-で「空が鳴る」、つまり「雷鳴がおこる」ということのようです。
また、yiber-「送る」の助動詞的用法は手元の文法解説書からは参照できなかったのですが、おそらく「~しだす」のように、突然その動作が始まるという意味を表すとひとまず解釈しておきます(ウズベク語にもyubor-という助動詞にそのような意味があるみたいなので!)。
では次の文にいきましょう。
この文はだいたいこんなところでしょうか。連用形が多い文でした。それにしても子どもはクムク語では"yaš"なんですねえ…ウズベク語ではyoshで「若者」でしたっけね。そんなことを思い出したりなどします。
いやいや。辞書が手元になかったなら、tiziwが「完璧な」という意味だとは確信できなかっただろうと改めて思います。辞書さまさまっすわ。辞書は大事。その言語に辞書があるということのありがたみを感じざるを得ません。
「ぼく」が後にがんばって描こうとした王子さまのイラストが、一番よく出ているけれども王子さまの美しさを描ききれていないんだ、と説明しているくだりですね。
ここは特に問題はないでしょう。トルコ語ではgunahは"günah"と綴るのですが、クムク語のほうは1語内で母音調和がちゃんとできているなあと思うなどしました。
これも難しい文だなと思いながら分析していました。まずbol-ag'anはbol-「ある、いる」の分詞(連体形)で、かつ現在を表す分詞のようなのですが、ここはbolg'anじゃないんだなというのが一つ。
あとは"etiw-čü čïq-ma-žaq-g'a"のところもなんとか訳を自分なりにひねり出してみたところではありますが、この言い回しは独特というか、クムク語に慣れないとけっこう難しいのではないかなという気がします。どうでしょうね。
では今回のラストの文を。
最後の文も難関でした。まず、動詞の仮定形と否定語tügülが隣接すると、「~以外は」のように逆のことを表すという文法事項があるのですね(cf. Pekacar 2008: 992)。また、最後の動詞üyren-の目的語はその直前の語のet-meになると思われるのですが、これが動名詞だとして目的格の語尾はつかないことがあるんだ?というのもちょっと気になっています(原文のほうも一応確認をとっています)。
ということで、今回はここまでにしましょう。
第2章はもちろん、まだまだ続きます。改めて見返しますに、思ったより長いチャプターですねここは…(訳す箇所のチョイスを間違った説 is あると思います)
まあしかし、これはもういわば「乗り掛かった舟」です。しょうがない。
あと2回くらいに分けてなんとかクムク語の世界をもう少し堪能してみることにしましょう。それにしてもクムク語、面白いけど難しいものですねえ(しみじみ)。