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名前の日

アゼルバイジャン語で「誕生日」はad günüといいます。直訳すると、「名前の日」。アゼルバイジャン語の勉強を始めてからこのフレーズを見たとき、いいなこの感覚と思いました。

この世に生を受けて、名前がつく、あるいはつけてもらう日というこの語感。

9月25日は不肖、私の「名前の日」でありました。
noteやSNSでは事実上ハンドルネームで活動しており、本名は間接的に公開している状態になっている(本や記事などを執筆することで、実名はどうしても出てしまうのでまあそれはそれで。だいたい、トルコ語をやってるとかいう時点で私がだれなのかとか簡単にばれるんですよね。たぶん)のですが、私の本名がついたのは1977年の今日だったというわけです。

長崎に生まれたのはみなさまもご存じの通り。市内中心部の、風頭山のふもとにあるお寺の並ぶ町(町名も、まんま「寺町」と言います)にある産婦人科で生まれたということを両親から聞いています。

それから40年とX年。まさか、その生まれ育った長崎で細々とテュル活の日々を送るなどということを、誰が予想できたでしょうか。生まれた当初はトルコ語をやるなんて考えもしなかったし、テュルク諸語に執着する人間になるなどということも想像しませんでしたよね。そして記念すべきこの日に、ツイッターのフォロワー、フォロイーのみなさまからたくさんの多言語でのお祝いのメッセージをいただけるような界隈に生息している、などとも。

日本語から韓国語、タイ語、フランス語、グルジア語、ドイツ語、アラビア語、タイ語、中国語。トルコ語ももちろんですが、アゼルバイジャン語、タタール語、トルクメン語、カザフ語でも。

いやフォロワーのみなさんすげえわ、ほんといろいろやってらっしゃるんだなと感心しつつ、ネット上とはいえそういう環境にいられる幸福をかみしめて、また1年がんばっていきたいなと思っております。

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この歳までなんとか、大きな病気もなくやってこれたこと、トルコでの生活も経験できたという自分のこれまでを改めてかみしめる一日です。

お祝いのメッセージをくださったみなさまに、改めて御礼申し上げます。原稿に追われる日々ですが、なんとかそろそろまとまった形で出したいところですね…。

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