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アゼルバイジャン語のキリル文字も学ぼう(久しぶりに手書きしてみました)
アゼルバイジャン語は、現在(この記事を執筆している2022年5月時点では)ラテン文字で表記されていますが、旧ソ連時代、とりわけ1940年以降は多くの旧ソ連諸国と同様に、キリル文字を用いて表記されていました。
現在でもその名残を街中でたまに見かける機会はある、という話を以前書いたことがありますが、そういえば、とふと思い出しました。キリル文字そのものの話はしたことがありませんでしたね?つまり、どの音をどう読むか。
というわけで、バクーで入手した資料をスキャンして、そのままお見せするのはさすがにまずいので、今回は2つ、PCのキーボードと手書き(ただしブロック体)をお見せしてみようと思います。
まずはキーボード配列。2022年となった現代でも、アゼルバイジャン語のキリル文字入力ができるというのは便利でいいですね。PCさまさまです。
![](https://assets.st-note.com/img/1651899079751-iDQEiq8GMW.png?width=800)
ロシア語、あるいはキリル文字表記を採用しているテュルク諸語の知識があるみなさんから見て、はたして興味深いと思われるでしょうかどうでしょうか。
ロシア語ではお目にかかれない文字があるでしょう。Ө(ө)とかね。Ҹ(ҹ)とかもきっと。かくして、旧ソ連時代は圏内のさまざまな言語が独自の字母を採用しつつ、キリル文字表記に対応していたということですね。
さて、文字が入力できることがわかりましたが、次に気になるのはやはりそれぞれの文字の発音、あるいはどの文字が今使われている文字のどれに対応するのか、ということでしょう。
不肖私、昔やってみたようにブロック体だけなのですが、大文字と小文字、それとそれぞれの発音について手書きで書いてみました。いくつかの文字については、コメントも添えてみました。
![](https://assets.st-note.com/img/1651897668373-OVevuZ3oRO.png?width=800)
なお、現在のアゼルバイジャン語ラテン文字については以下のエントリーをどうぞ!
みなさんの参考にもなるといいのですが。
しかし私自身は、実はキリル文字時代の文字と発音の対応関係の理解、この記事を書くまでは怪しかったということはありまして、その意味で今回改めて書いてみて、よい復習というか勉強になりました。
さて、キリル文字。上で披露した手書きの右上に、「1958-1990」と書いたところについて少し補足を。
キリル文字表記に移行したのは1940年ですから、1940-1957の間はどうだったのか、という話はあるわけですが、実はキリル文字表記も細かい変更が時代を経るごとに行われています。
たとえば1940年代には、ロシア語にあったЯ(я), Ю(ю), Э(э)といった文字がアゼルバイジャン語表記にも採用されていたのですが、上の手書きの一覧からわかるように、1958年以降はこれらの文字は使われなくなっているというわけです。
あともう1点、1991年に旧ソ連崩壊後、アゼルバイジャン共和国が成立しましたが、成立後しばらくはラテン文字表記への移行は決まっていたものの、実際にはキリル文字とラテン文字の両方が併用されていました。
![](https://assets.st-note.com/img/1651899767861-8off0AQVhM.jpg?width=800)
(バクー、アゼルバイジャン;2021年12月撮影)
その意味では、上の手書きのところには「1990年まで」とひとまず書いてはいますが、実際には1990年以降も全く使われなくなったということにはならないということは付記しておかないといけません。
ということで。旧ソ連時代のアゼルバイジャン語文献を読むとき、同じキリル文字から読んでいくのでも、いつごろの文献かによって使用されている文字が違うというややこしさはある、ということにはなるでしょうね。
まあしかし、これもこれで一興でしょう。そんなわけで、文字に親しむ2022年のゴールデンウィークとなりました。
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