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プロローグ:私とアンカラ、そして私が再びアンカラに行くまでのなんやかんや

どうもみなさま、改めてご挨拶を申し上げます。ウェブ上での源氏名は「ウギャーさん」ということで営業させてもらっております。

私は2014年12月から2020年1月までの実に約5年間、日本から10000kmほど西に離れたところにある国、トルコ共和国の首都アンカラで生活しました(ツイッターで私を追いかけてくださっている方は、ほとんどご存知だろうと思いますが一応)。


アンカラで何をしていたか。もちろん仕事をしていました。具体的には、「日本語を教える」という仕事です。いわゆる「日本語教師」と呼ばれる仕事で、所属先はアンカラ大学、日本語日本文学科。そこで、専任講師として日本語を教えるという機会を得たのです。ひょっとしたら、海外で日本語を教えるっていうことがどういう生活になるのか、どういうことが楽しくてどういうことがきびしいのか。こういうことに興味を持ってくださる方がいるんじゃないかとふと思って、つらつらと一部始終を書いてみようかなと思いました。

実は、私が日本語を教えるということを明確に意識したのはかなり遅くて、「日本語教師」という仕事があるということを初めて明確に意識したのが、2010年あたりのことだったと記憶しています。自分の人生のスパンで考えると、ほんとについ最近のことです。

私は高校卒業後、今はもう(大阪大学と統合してなくなってしまった)大阪外国語大学のトルコ語専攻に進学し、それ以来ずっとトルコ語の文法に興味をもっていました。大学院では言語学を専門に勉強することにして、ほぼ必然的にトルコ語がその分析の対象になりました。大学学部の1年生から今までトルコ語を続けていることになるので、付き合いは今これを書いている段階で、かれこれ25年というところでしょうか。

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