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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

 2011年3月の福島第一原発事故のとき、官界の代表として首相官邸で住民避難政策の策定にかかわった平岡英治・原子力安全・保安院次長(当時)のインタビューの最終回をお届けする。今回も重要な証言が随所に出てくる。

*原子力安全・保安院の職員が福島第一原発から数キロの事務所に7〜8人いた。

*しかし住民避難を手伝うことはなかった。3月15日に福島市へ撤退した。

*住民避難は保安院の仕事ではない。避難の主体はあくまで市町村である。

*SPEEDIを海江田経産大臣に報告せず、公表もしなかったのは「作動しないので、報告すべきことがない」と判断したから。隠したのではない。

*現地のオフサイトセンターが使えなくなって事前の計画が狂った。

*地元の立地自治体との町長とは、富岡町町とだけ電話で直接話ができた。

*しかしニュアンスはうまく伝わらなかった。

*「避難の主体」であるはずの市町村には必要な情報が流れなかった。


<平岡英治氏の略歴>

ひらおか・えいじ 1956年1月、岐阜県生まれ。

東京大学工学部電気工学科を卒業し経産省に入る。

*1995年12月 資源エネルギー庁 原子力発電運転管理室長

*1999年 資源エネルギー庁 原子力安全管理課長

(2001年1月 原子力安全保安院 設立)

*2001年1月 経産省消費経済部 製品安全課長 

*2003年7月 原子力安全保安院 原子力安全技術基盤課長(新設)

*2005年9月 原子力安全・保安院 首席統括安全審査官

*2007年7月 原子力安全・保安院 審議官

*2009年7月  原子力安全保安院 次長

(2011年3月 東日本大震災・福島第一原発事故発生)

*2012年9月 環境省審議官

*2014年7月 経済産業省官房付・退官


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原子力安全保安院 平岡英治・元次長  5年余の沈黙を破り 福島第一原発事故をふりかえる(下)

烏賀陽(うがや)弘道/Hiro Ugaya

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ジャーナリスト・フォトグラファー 1963年京都市生まれ。京都大学経済学部卒。 コロンビア大学修士課程(軍事学)終了。 朝日新聞社記者を経て2003年からフリーの報道記者。 アマゾン著者セントラル:https://www.amazon.co.jp/-/e/B01MF8GG1A

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烏賀陽さん
烏賀陽さん
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コメント (1)
”これでは「誰が避難を決め、住民を動かすのか」が極めてわかりにくい。クライシスの時の対応体制としては欠陥があると言わざるをえない。しかし、この「国と市町村と、空間的に離れた意思主体が混合した状態」は3・11後も改善されていない。極めて危険だと言えるだろう。”・・・  烏賀陽さんが繰り返し指摘されているこの視点は早急に行政の仕事上で生かされてしかるべきだと思うのですが、欠落を埋める動きは全くないのでしょうか?
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