家のカレーっぽいカレー

まだまだ18時で明るい頃

店のカレーっぽいカレーじゃなくて、家のカレーっぽいカレーが食べたい日があった

ピンときた店にほとんど衝動的にかけこんで、カレーの食券を購入する。

古めの券売機と反りが合わないのか、新500円玉は入れども入れども吐き出され、その度返却口に500円玉の悲鳴が聞こえてくるので、タオルを投げ込むかの様に千円札を投入する。昨今の新500円玉の煙たがられっぷりには同情すら感じる。頑張ろうぜ新500円玉。いつかぴったりなところに出会おうぜ新500円玉。

とボロボロの新500円玉と共鳴寸前でカレーの食券を大将に渡す

店主よりもおやっさんよりも、大将と呼びたくなるこの風格。大将然とはこのことである。一日二日じゃこの大将然は醸し出せない。ありがとう大将。大将と呼びたいと思わせてくれてありがとう大将。

先に入店したであろう客のらーめんを作る大将。ここはらーめんも絶品の店だ。ラーメンでもなければ拉麺でもない。素朴や懐かしいでは片付けられない、らーめんなのである。

カレー&らーめんセットという中山高原のかつてのジュビロ磐田ツートップ級の破壊力メニューにもそそられながら、今回はカレーに向き合う時間だと自分に渇を入れる。

程なくしてカレーの到着。
横に長い銀の皿に、これでもかとルーをかけてくれている。ありがとう大将。

美味しい、どこまでも美味しい。家のカレーっぽいカレーの中でもトップクラスに家のカレーっぽいカレーなのである。

止まらないスプーン。まるでドゥンガだ。

気付くと残りはあと2口ほどになったところで重要な事に気付く。

ルーが足りない。

あんなに盛ってくれていたルーを前半に楽しみすぎて、全体のバランスを完全に崩していたのだ。そこに残ったのはあと2口の白米。

計画性の無い自分を攻めた。

こうなったからには、余韻で白米をいこうと決心した。微かに口に残る余韻カレーで白米をいこうとした瞬間。カウンターから声がする。

「ルー足りないでしょう。今足しますよ。」

見かねた大将が計画性の無い僕の皿に残った白米に追いカレーをかけてくれたのである。

自分を恥じた。と同時に大将に感謝を告げて一気に食べた。

追加のカレーは、途中投入されたジュビロの西のように、ピッチという名の胃袋をこれでもかと駆け回った。








この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?