努力とは報われないのかどうなのか

 「正直、これ以上ないくらい頑張ったと思います。報われない努力だったかもしれないけど。確かに、SPからうまくいかなかったけど。むしろ、うまくいかないことしかなかったけど、一生懸命頑張りました」

 羽生くんの言葉について考えた。言葉には大きな力がついて回る。言葉に実体はないけど、言葉にすることで力が宿る。言霊とか言の葉とかいう概念があるように、口にした瞬間それは血となり、肉となる。

 努力。親、先生、先輩に何度となく言われ、自分自身でも唱えてきた。今は、先生として生徒に同じことを言っている。そんな努力は何のためにするんだろうか。

 報われるため?じゃあ報われなかった努力に意味はないの?そもそも報われなかったものは努力とは呼ばない?努力が足りないから報われないのか。それとも、努力すること自体に意味があるのか。色々な考え方が存在して混乱してしまう。

 「努力した者が全て報われるとは限らん。 しかし! 成功した者は皆 すべからく努力しておる」

 「はじめの一歩」で鴨川会長が言った言葉。成功するための努力、目標を達成するための努力。それが叶わないならば報われない努力も存在するってことだよね。でも、人と比べてそこまで努力しなくて勝ってしまう人もいれば、全力で死に物狂いで努力しても願いが叶わない人もいる。それは生まれ持った才能に依る所もある。

 ということは、努力すること自体がギャンブルなのか。

 自分は基本的に努力が報われてきた人間だと思っていた。中学受験をきっかけとして自分なりに節目節目で目標を立てて、その達成の為に全力を尽くしてきたつもり。バスケに関しても受験に関しても、全力で頑張ることで結果として現れた。「努力したけど報われない」っていう経験はほとんどしていない。

 でも、羽生君の言葉を聞いて思った。高く高く目標を定めて、自分の限界を超えるほどの熱量を注ぐ経験をしたかというとそうではなかった。あくまで自分の手の範囲内で、背伸びして手を伸ばせば届くテリトリーの中でのこと。そういう意味では自己分析というか自分の力の把握は上手かったのかもしれない。そんな努力もあっていい。僕は自分の拡げた手の外側にあるものを本気で欲しがろうとはしなかった。自分の周りを飛び越えてもっともっと先を見ようとはしなかった。

 羽生くんがしようとしていたことは、自分を飛び越えて、誰も見たことがないような世界に届こうとするものだ。それを努力と呼ばずに何というのか。報われないっていうのは本人がそう感じているのなら変えられない。でもね、僕たちは知っている。その努力が見ている人に力をくれたことを。

 自分にとっての「努力」。自己実現であったり、存在証明であったり、それぞれに違う意味を持つだろう。でも、他の人に力を与えてくれるもの、それは間違いなく「報われている」。

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