猫の事務所 #宮沢賢治noteその1

ふと幼い頃に読んだ宮沢賢治さんの作品を思い出した。母親が本好きで毎晩の読み聞かせで育った僕は、おかげさまで本好きな少年→青年→壮年へとなりました。今となっては、母親に感謝。

家には、絵本の宮沢賢治全集がありました。「セロ弾きのゴーシュ」とか「銀河鉄道の夜」とか「風の又三郎」とか、著名な作品も読んだんですが、不思議と印象に残っていません。逆に頭に残っているのは、不可解な作品。今考えると、賢治さんの思想が色濃く反映されているように思います。

そこで、作品の解釈をしつつ、宮沢賢治さんの思想を探っていくシリーズを書いていきたいと思います。

「猫の事務所」1926年

猫の第六事務所では、黒猫の事務長の下、白猫、虎猫、三毛猫、そして竈(かま)猫で働いています。彼らには順列が付いていて、それは王を筆頭に潔白、強者、平等、弱者という身分に繋がってると解釈します。かま猫は上の身分である3人に虐められています。最も上の立場である黒猫は悪い人ではありません。でも、下の人たちがどのように働いているかまでは気が回りません。仕事に熱心で心優しいかま猫が、親切心から行う行動も全て反感を買ってしまいます。

みなさんぼくはかま猫に同情します

ある日、自分は悪くないのに、策略によってみんなに無視されてしまいます。仕事を取り上げられてしまい、自分の机で弁当も食べずに泣いたり泣き止んだりするかま猫。

夕方、突如やってきた獅子(黒猫よりも、もっと大きなもの)に対して、堂々とした態度をとったのはかま猫だけでした。

ぼくは半分獅子に同感です。

たったこれだけのお話。でも、忘れることが出来ない。幼いながらに思ったのは、かま猫は何も悪くないってこと。読んでいて哀しくなった。こんなことしちゃいけないって意味では童話であり寓話です。しかし、大人になって思うのは、このような社会の中で生きているってこと。無くならないといけないって誰もが分かっていても、無くそうと努力しても、潜在意識のレベルでこう感じてはいないだろうか。例えば年収、職種、役職。そんなものより大事なものがあるんだよ。って今は生徒に教えてるけど、果たして社会人になった自分は本当にそう思えているのか。

かま猫を作る社会。今になって思うと、その構図は崩れていない。それでいいのかって言われると良くないですよね。僕たちが考えるべきことはもっといろいろたくさんあると思うんです。しかも本気で、そして自分の立場も忘れて。

当時から賢治さんはそのことに気付いていたのかな。

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