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NBA JAPANGAMEを見て感じたこと

 去る10.2(Sun)、バスケ小僧であった頃から抱いていた私の一つ夢が叶いました。その夢とは、「いつかNBAを生で見ること」です。友達がチケットを当ててくれて、声をかけてくれて、仕事の予定も無かった。こんな良いタイミングは無かったんです。

 いよいよ当日、さいたま新都心で降りて、とりあえず、会場に入っただけで感極まってしまった。観客の数に圧倒された。僕が愛するバスケットボール。人生を変えてくれたバスケットボール。こんなに大きな場所で、こんなに多くの人がいる中で、世界最高峰のNBAを観ることが出来る。それにまず感動した。僕が世界一面白いと思っていて、人生の中で何度も救われてきて、これからも関わっていくだろうスポーツの最高峰を、体感できた。

 試合を終え、まだ余韻に浸っていましたが、その中で感じたことをまとめました。

① NBAはスーパーエンターテインメントである

 NFLもそうかもしれないが、バスケットを観戦すること以外で観客を楽しませる要素が充実している。ハーフタイムショー、DJ,ダンサーetc...日本でいうと、フェスみたいな感じ。JAPAN GAMEというイベント的な要素も強いだろうが、日本にはない何か巨大なものを感じた。これは資本の力もあると思う。シーズン毎試合という事はないだろうけど、このテンションと場がが日常にあって、好きなチームの応援に行けるという事が羨ましくて仕方ない。HOME&AWAYとなると、自チームの応援はなおさらすさまじいものでしょう。それを楽しみに仕事を頑張ったり、週末を楽しんだり。スポーツで日々の楽しさを感じるような環境は、少なくともバスケットでは今の日本にはまだ少ない。
日本のバスケもいずれそうなってほしいなと切に思いました。

②NBAはバスケットのレベルが全く違う

 画面越しに見ていたNBAと、実際に見たNBAは別次元のものだった。特性上、身長の大きい選手が有利だとされるバスケットボールは、立体的な3次元的スポーツであり、基本的に大きくて動ける選手は重宝される。日本では特に顕著で、「動けるビッグマン」の発掘を試みている段階。
 しかし、バスケの生まれ故郷であるアメリカではそれは当たり前のことだった。本当に当たり前にみんな大きいし、動ける。コートが小さく見えるのは錯覚ではない。ゴール下はまさに戦場だった。本気の肉弾戦。ハイライトで見るようなダンクは実はほんの一握りで単に点数を取ることは出来ない。アーリーオフェンスや速攻は少なかったんだけど、それはディフェンスの意識に他ならない。早く攻めるメリットが小さい。その中で活躍する小さな選手たちのテクニックは凄まじかった。特に世界最高の選手、ステフィン・カリーはもう全く次元が違う。動きの全てに意味がある。繊細で確実。スキルの塊みたいだった。ドリブルの強さ、シュートの判断、ボードの当て方まで計算されていた。バスケットボールってこんなスポーツだったっけ?とにかく動きが滑らかで、なんというか美しかった。ただ興奮するのではなくて、技術を極めた人の凄さに脱帽した。 その他の選手たちを含めて、NBAとは別次元のバスケットボールで、極めた人たちにしか許されない領域なんだと感じた。

③ 日本人がNBAでプレーすることの凄さ

 そんな異次元の世界で、八村選手が十分に通用するプレーを見せていることに感動した。血のにじむような努力に裏打ちされている。身体能力が必要なのは分かる。しかし、アメリカにもヨーロッパにも八村選手以上に元々の才能を持った選手はたくさんいるように思う。ただ、それを伸ばして本当の頂に届く選手はほんの一握りなんだ。渡邊選手もそう。田臥選手がサンズでプレーしたこともそう。奇跡のような出来事なんです。これは、バスケットの経験者がNBAを生で見て、初めて気づくことだと思った。画面越しでは分からない凄さ、恍惚さ。至高の瞬間が現場にはあった。バスケットをしていて良かった。その最高峰を少しでも見ることが出来たから。

 余韻に浸っていた3日後、JAPAN GAMEで豪快なダンクを決めて会場を沸かせたウォリアーズのマクラングがウェイブされた。彼はレイカーズにいたこともあって、豪快なプレースタイルが魅力なオフェンシブなガード。Gリーグで新人賞を取った選手であっても解雇される厳しい世界。しかし、だからこそ僕たちを魅了し続けるNBAがあるんだろう。

 毎年やってほしいJAPAN GAME。そしていつかレイカーズが日本に。なんて思いました。

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