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アダムとイブ #2

 飲み会から一週間経った。ゼミの発表が終わって冬休みに入った僕はバイトのシフトを増やした。バイト先は吉祥寺のシルバーエレファントというライブハウスで、バーテンとか受付とかしながら、時々PAの手伝いもしている。もちろん本格的なカクテルとかは出せなくて、専らビールとハイボールが売り上げに貢献している。少なすぎず多すぎない泡になるように缶ビールをプラスティックのコップに移すか、割合に注意してウイスキーと氷と炭酸水を混ぜる作業にひたすら時間を費やしている。加えて時々ジントニックやラムコーク。でもただ出すだけじゃつまらないから、氷を細かく砕いたりレモンとライムの切り方を工夫したりしている。ほとんど誰も気付いてくれないんだけど、時々「あ、意外と美味しい」って呟いてくれる人がいると嬉しい。ライブハウスではお酒の味なんて関係ないし、酔えればいいって人ばかりだと思う。でも、そんな中でも少しの工夫で何かが変わるかもしれない。

 あとはドリンクを作りながら色々なバンドの音楽を聴けるのは楽しい。色んな趣味はあるけど、音楽はその中でも大きなウエイトを占めている。一つで外出するときにイヤフォンは手放せなくて、生活の中で音楽は僕の傍にいる。時々ライブやフェスにも参加する。上手い人も下手な人もいるんだけど、生で奏でられる音楽にはその場限りの魅力があって面白い。

 その日は人が多くて忙しかった。そこそこインディーズで人気のあるバンドの3マン企画で、音楽は哀愁を感じさせるメロコアだと店長から聞いていた。今でいうとエモコアっていうのかな。トリのバンド前、入れ替えが終わってやっとドリンクも一段落ついた。今日はPAの仕事もないし、カウンター内側のスツールに座って煙草に火をつける。ここから見える汗と煙で少し曇った視界がなんか好きだったりする。靄がかかったような、中にいる人たちには分からないかもしれないけど、ライブとライブの間って不思議な空間なんだ。何かが始まりそうな気がする。待ち切れずに前を陣取る人、酒を飲む人、トイレにいく人、知り合いと話す人、ごちゃごちゃで整合性も無くててんでばらばらに好きなことをしている。

 SEが始まった。Cheers Elephantの「Like Wind Blows Fire」。へえ、渋いけどいい曲選ぶんだね、もうそろそろ演奏が始まりそうだなと思っていた。

 「タツキ君?やっぱりタツキ君だ」

 不意に名前を呼ばれて見ると、ドリンクチケットを持って驚いた顔のアサミが立っていた。

 「なにしてんの?バイト?」

 「こんにちは。そう、ここでバーテンとか色々手伝いしてる。そういうアサミちゃんこそバンド好きなの?」

 「今日は友達に誘われて見に来たんだ」

 「そっか。友達のバンドって今から?」

 「いや、今終わったところでドリチケ使っとこうと思って。あ、ビールください」

 前の方にお客さんが集まってきた。五十人くらいはいる。うちにしては多い方だ。

 「最後のバンド始まるよ。見てくれば」

 後ろに並んでいる二、三人を気にしながらコップに注いだアサヒスーパードライを渡した。

 「あ、そうだね。タツキ君も落ち着いたら観にきなよ。ありがと」

 そういって彼女は跳ねるようにステージに向かって歩いていった。変な偶然もあるもんだなと思いながら、並んでいた人たちのドリンクを作って一息ついた。演奏中にはあまりバーカンに人が来なくて、トリのバンドの時はみんな曲を聴くから尚更だ。自分でラムコークを作って飲んだ。演奏が始まっていい具合にフロアは盛り上がっている。シンプルなリフだけど、切なさを感じさせて、ハイスタやハワイアンみたい。心地よい唄と熱気に身を任せていると少し酔った。気を取り直してこの後は片づけだって考えていたら、暗い中で誰かが近寄ってくる気がした。こっちに歩きながらアサミが何か言ってるけど、もちろんライブ中は大きな声を出さないと聴こえない。聞き返すと、彼女は片手を口元にあてて言った。

 「良いバンドだよね」

 「そうだね。普通にかっこいい」

 「私ね、ライブハウスが好きなんだ」

 「へぇ、なんで?どこが?」

 「なんか普段の生活からかけ離れてるじゃん?だから色んなこと忘れて聴いてられる」

 「知らないバンドでも?」

 「うーん、知ってるか知らないかはあんまり関係ないかな。好きなバンドのライブにも来るけど、そうじゃない時にもふらっと来る。だってさ、階段降りただけで全然外とは違うんだよ。面白くない?」

 正直な感想に共感した。僕も同じだからここにいるのかもしれないから。退屈な毎日に刺激をくれるかもしれないし、ここでしか聴けない音楽に出会えるかもしれない。ただそれはあくまで「かもしれない」であって、むしろ退屈な時間が過ぎることも多い。それでも、ライブハウスの外にいたら絶対に感じることのできない空気の中に身を置くだけで、わくわくしたりする。

 「面白いね。だから僕もバイトしてるのかもしれない」

 そう言ったら彼女は笑った。

 「ねえ、この後暇なの?」

 「終わったら片付けして帰るけど」

 「じゃあ飲みに行こうよ、近くに好きな音楽流してくれるバーがあるんだよね。共通の趣味も見つかったし」

 ぐらりときた。断る理由はない、いや断る理由がないと言えるくらい何故か僕は彼女と話したくなっていた。

 「わかった。じゃあ終わったら外で待ってて」

 彼女は笑みを浮かべて手を振るとまた前の方に行ってしまった。僕はバーカンに戻って、哀愁が漂うメロディック・ハードコアを聴いていた。



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