音楽と人との幸せな関係

 僕にとって音楽は日々の生活に欠かせないものだと思う。中学生の頃から移動する時にはイヤホンを耳にして、晴れの日も曇りの日も雨の日も、毎日通学路を好きな曲と一緒に歩いた。

 持ち運ぶ機器はCDプレイヤーからMDプレイヤーに変わった。一枚だけ選んでいたⅭDがMDになって、持ち運べる曲が増えていった。僕が大きくなるのと一緒に、音楽の世界も拡がっていった。

 17歳の頃に買ってもらったiPod nanoは、当時8ギガバイトで2万5千円もした。中に入っている曲はくるくると入れ替わっていったけれど、12年間も僕と一緒にいた。沖縄、ニュージーランド、グアム。どこに行ってもかかる音楽は変わらない。見慣れぬ風景にいつもの音楽はどこか自分を安心させる。

 部活の試合の直前、大学入試の日、就活の面接、友達とバカ騒ぎする前、彼女とのデートの朝、ジョギング、移動中の電車。いつも僕の隣には音楽が存在している。

 人間は音楽で元気になったり、気分が変わったりするから不思議だ。爽やかな朝には、スピッツの草野さんの声が良く合う。冬になったら、なぜかBUMP OF CHICKENの「スノースマイル」とかサカナクションの「スローモーション」を聴きたくなる。落ち着いた電車の中とくるりの「赤い電車」。フレデリックの「オドループ」には中毒性があって、聴いた後に何度も頭の中をループしてリピートしてしまう。何か悲しいことがあれば、竹内まりやさんの「元気を出して」に励まされている僕の生活は、様々な音楽に彩られている。

 そんな音楽に触れてきた中で、忘れられない風景がある。8年前、ROCK IN JAPAN FES2013に行った時のことだ。

 灼熱の太陽が照りつける中、MONGOL800を見るために、一番大きなステージに向かった。5万もの人が集まる中、幸運にも僕はステージから10列目の場所まで行くことが出来た。ボーカルのキヨサクの登場と同時に地響きのような大歓声が起こり、演奏が始まった。ステージは順調に盛り上がり、中盤に差し掛かった頃だ。「LOVE SONG」を歌い終えた後、                                         

 「よし、もいっちょラブソングいくぞ……小っちゃいやつ」        

 というキヨサクのMCで、「小さな恋のうた」が始まった。聴き馴染んだメロディーが流れだした途端に、我慢できなくなった観客が全員でその歌を歌い出した。キヨサクも1小節を歌っただけで、マイクをこちらへ向け笑顔で演奏を続けている。僕も夢中になって歌った。周りのみんなも同じ歌を歌っている。後ろを向くと、視界を覆い尽くすような人の海があって、5万人が同じ歌を歌っている。いろんな声が入り混じっているけど、確かに同じ歌を、同じ言葉を歌っている。

 なんだか訳が分からないままに、僕は泣きそうになっていた。曲が終盤に差し掛かった時、「終わらないで欲しい」と切実に思った。そんな時、あの歌詞が頭に飛び込んできた。

「夢ならば覚めないで 夢ならば覚めないで あなたと過ごした時 永遠の星となる」

 本当は恋愛についての歌詞なのかもしれないが、僕にはその時その場にいた人々の繋がりとか、感動とか、思いの丈を表しているような気がしてならなかった。そして、少なからず同じことを考えている人がいることを感じていた。曲が終わって大きな拍手が沸き起こったけど、どこか切ない気持ちになったのは僕だけではないはずだ。周りを見渡すと、寂しそうな顔をした人がたくさんいたから。音楽は、自分一人のものじゃないと思うようになったのはこのことがあってからだ。

 音楽を聴けば、きっと毎日が楽しくなる。変化をもたらしてくれる。その時聴いている音楽は、おそらく自分だけのものであるかのように感じられるだろう。お気に入りの曲は、確かに自分だけが他の人にはない「何か」を感じる対象であるはずだ。

 そして、それと同時に、人と思いを共有する為の手段にもなりうる。創った人の思いに重なる5万人の思い。あの時、確かに僕と同じことを感じて 
いる人がいた。そう考えるだけで心が嬉しく、そして今も少し切なくなる。

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