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高校現代文教材論①「水の東西」山崎正和(高1・国語総合)

3月からの自粛、4月からの課題配信、5月からのオンライン授業を経て、やっと通常に近い形での授業が始まりました。本年度は高1と高3を担当しています。折角なので、自身が行った実践を記録として残しておきたいなと思います。これもnoteの使い方。お付き合いください。

対象学年:高校1年生

使用教材:評論「水の東西」山崎正和

使用教科書:明治書院 「新 精選 国語総合 〔現代文編〕」

① 高校現代文に求められるもの

まずは、高校現代文について考えていきたいと思います。中学校までの国語との大きな違いは、「本文の内容が難解になること」「より客観的な読みが求められること」だと考えています。全てとは言いませんが、高校現代文=受験国語、つまり大学受験を前提として捉えなければなりません。しかし、伝統的な現代文の教え方、具体的には教科書を読んで教師が模範解答を書くだけの授業ではこの力が身に付くことはほとんどありません。教材が知識としての答えではない以上、模範解答を覚えることに意味がないためです。一部の生徒がそのことに気付いて自ら力を延ばしていくわけですが、大半の生徒はただただ慣れない難しい文章を読まされて退屈に感じるわけです。これを、変えないといけない。理想は、「現代文の面白さに気付きつつ」「受験国語に対応する力を身に付ける」ことだと思っています。この観点から、指導を行っている次第です。

② 導入教材としての側面

高校の一番最初に行う教材として、「水の東西」が設定されている意味について考えてみます。まずは、構造が分かりやすいこと。日本と西欧の二項対立という枠組みは、分かりやすくオーソドックスなものでありながら汎用性があります。私の中では、2年次の「近代都市のレトリック」、3年次の「私の個人主義」へと繋がる日本と西欧の比較概念の基になるものとして捉えています。大学入試でも頻出のテーマとなる比較文化論の基礎になる力を秘めている教材です。

また、主張→具体例→主張→具体例という評論の基本構造を押さえており、序論本論結論の3段論法も分かりやすい。「~な水」というシンプルな各段のまとめによって、生徒たちに東西文化の違いを理解させることが出来ます。

③ 指示語・接続語の把握

高校現代文(受験国語)は、筆者の主張を日本語の枠組みに沿って正確に捉えることが求められます。抽象的で、文章に共通した筆者の主張を捉えることはもちろんなのですが、日本語のルールに乗っ取った正しい文脈の理解が求められます。センター試験(恐らく共通テストも)、多くの大学で問われるのが接続語、指示語の把握です。正確に、文章内の語句の繋がりを理解できているか。接続語の意味と指示語の中身はその最たるものです。水の東西に出てくる接続語と指示語はこの例として非常に使いやすい。例えば、逆接のあとは主張が多い「しかし、何事も起こらない徒労~」では、「何事も起こらない徒労」が鹿おどしの本質的な特徴=日本人の好みを表しています。「それをせき止め」では、「せき止め」という言葉から、何かをせき止めることが予想されるので、直前の「流れるもの」=水という構造を捉えやすくなっています。このように、問いとしての基礎も確認することが出来る教材であると言えます

④ 比較文化論

これに関しては、教材内で扱う内容、例えば、鹿おどしと噴水といった本文に登場する事象のみで説明をする先生もいます。※それを否定しているわけではありません。

ただ、せっかくなので関連づいたことをもっと伝えてあげると、一般化(定着)が進むと思います。今回は、神社と教会(見えない神様と見える神様)足がある幽霊とない幽霊(形がないものとあるもの)日本家屋と西欧建築(仕切りの希薄さ=自然・調和と仕切られた空間=人工・個人)を例に出しました。生徒は教科書に載っている文章を読めと言われても、ただただ退屈で面倒くさく感じられると思います。そもそも、なんで読まなきゃいけないの?と言われることも多いのですが、その時は「科目として設定されているから」と答えてしまいます。ただ、極論で乱暴なのは分かっているので、そう感じさせない工夫が必要になる。教材で面白くアレンジしていくのが教員としての役割です。

➄ その他

今回は「○○の東西」という題名で、400~800字の意見文を書かせました。評価の観点を設定し、平常点に換算する予定です。文章理解→応用して初めて内容が定着するものだと思います。将来的には、小論文等で自身で文章を作成するための力も付けていくことが求められます。筆者の主観を客観的に読み取り、自身の主観を客観的に表現する。この繰り返し・往復が高校現代文で求められる力を身に付けるのに大切な学習ではないでしょうか。

評論を読み解くときにスキルと共に必要なのは、背景理解です。そのための材料が教科書だと思っています。下手に参考書を買うよりも、教科書の中身から様々な評論に通ずる思想や理論を学び、一般化させる。その観点から見ると、教科書はとても良く出来ていて、科学・文化・言語・哲学・藝術といった頻出のテーマをしっかりと押さえています。現代文の参考書は、受験テクニックとこれらのテーマについての補足説明が書いてあるものがほとんどですので、教科書を上手く活用することで賄えます。

感想ですが、知らなかったことを知ると生徒は学びます。今回であれば、当たり前に暮らしている中で意識していなかった中に、実は日本の性質があったんだ!みたいな。

こんな場面がありました。

「神社に神様はいる?」「います!」「どこにいる?」(神社の写真掲示)「ここです!」(本殿の中を指す)「見たことある?」「・・・ないです」「じゃあ教会の中には?」(教会の写真掲示)「これですね。」(十字架・キリストを指す)「いるね」「いますね」「日本には?」「いませんね・・」「でもいるって事はわかるんだよね?」「なんとなく・・・」

まさしくこれが日本の特性ですよね。なんとなくの中身は、自然との調和・見えないものを恐れない心=水の東西!ってなるわけです。

このように当たり前に思っていても実は!と言う体験が出来るのが現代文の面白さだと思います。これらをもっと生徒に伝えていきたいですね。



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