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脱弱者男性

始めまして、弱男のえふおです。
26歳、彼女いない歴=年齢
貯金100万いかない程度
NZにワーホリ中

「は?弱男なめてます??」
「もっとハンディキャップがある弱男もいるんだ。努力しなかったお前ごときが弱男を自称するな」
「弱男=恋愛弱者とか思ってます(笑)??」

私は認知が歪んでいるので上記のような声が聞こえてきます。
正直弱者男性を名乗るかどうかは今でも悩みどころではあります。「自称することで弱者男性に甘んじてしまう自分がいそうだ。」とか、「流行りの弱者男性をターゲットにしたインフルエンサーもまた弱者男性から搾取する側じゃないか」とか考えちゃいます。多分弱者男性を名乗らなければ当たり障りのないところで落ち着かせられるような気もします。

でも、あえて弱者男性を自称するのは、私みたいな人間が直面している現実を一度言葉にして、誰かが見えるところに表出させないといけないと思ったからです。また、その表出がないがために孤独を感じ、前に進む勇気が出ずにいた少し前の私に、「おまえのことをわかってくれるやつが世の中いるから絶望する必要はない」と言いたかったからです。

Noteを始めるきっかけになった事件があります。
それはとてもシンプルに「失恋」です。
去年の暮れに、リアルで会った人に一目ぼれし、玉砕。
配信アプリで仲良くしていた女の子にひそかに恋し、消えられ。
また配信アプリで仲良くなった子に依存してしまって、捨てられ。

極めつけには、これまた配信アプリで仲良くなった子が、私のメンヘラ気質のせいで心に傷を負い、その後自殺してしまいました。

昔はよく、メンヘラ女と共依存関係になれれば幸せだと思っておりました。人に激しく愛されれば幸せになれると思っていました。一つの愛のカタチだと信じていました。
でも、その一件のあと、精神の弱さは「罪」であることを認識しました。メンタルの弱さは周りの人を巻き込んで人を不幸にします。共依存関係というのは不安で相手を縛り、お互い自立してない人間同士で条件付きの愛をぶつけている状態です。
もしあなたがアダルトチルドレンの自覚がある人であれば、なんとなく直感してしまうかもしれません。相手が〇〇だから愛す、相手が〇〇してくれるから愛するということは、あなたの人格さえ歪めます。それは全く愛ではない。むしろ不安解消のためのサービスを相手から引き出そうとしているに過ぎないのです。

僕、えふおは「弱者男性」です。恋愛弱者、コミュニケーション弱者で、アダルトチルドレン傾向があります。
小さいころ、怒鳴り、誉めず、歳不相応の説教を子供に押し付けてきた記憶がある父親が嫌いです。
ネットワークビジネス、スピリチュアル、投資詐欺、などにはまるし、世間体ベースで物事を決める、躁鬱持ちの母親が嫌いです。
両親ともに過干渉で、私の人生の軸を奪われた感覚がまだ残っています。
親元を離れた今だからこそ、子供のころの自分を俯瞰できますが、僕はあの時、もっと安心感が欲しかった。自由が欲しかった。なんでも話せる親であってほしかった。
他人に自慢するように誉めるのではなく、僕を誉めてほしかった。
怒鳴らないで、できない僕に寄り添ってほしかった。
もっと愛を感じたかった。
この不全感が、人間関係、特に恋愛の時に「愛着不安」という形で出てきてしまい、人間関係の維持がうまくいかないのです。

恋愛の失敗のあとは、自分の依存体質に自己嫌悪すると同時に、相手が愛してくれないということに胸を痛める日々でした。昔から心理学を少し勉強しており、愛着障害という言葉も知っていた私は、ネットで対処方を探すことにしました。
愛着障害の男性がどうやってその苦しみを解消していけばいいのか、あるいは愛着障害男性が恋愛の失敗で抱く痛みに共感してくれるものを期待していました。でも、まったくヒットしませんでした。

愛着障害の治し方はわかります。カウンセラー、パートナーなどの信頼できる人と利害関係のない安定した関係を築けば、治るというのです。でも、愛着障害の男性がどうやって安定したパートナーを見つけられるの?愛着障害だから非モテで、女性以外の人間関係もどうにもちぐはぐで、安心できる人間関係ってほとんどなくて、じゃあ、カウンセラーですか。保険適用されない中、当たりはずれのあるカウンセラーのご厄介になって、何年間も通い詰めて、治ったころには何歳になってるの?私の人生もう経済的な結婚を目的にした相手しかいないんじゃないの?顔が良ければ多少愛着不安傾向があってもモテただろうけど。顔もいまいちで、生育環境にも恵まれなかった私は、恋愛もできなくて、仕事に生きて、退職後に自殺するの?あるいは仕事もできなくなって、誰にも愛されず、同情さえされず、死んでるの?
この不安に寄り添ってくれる人さえいない!

弱者男性は弱者男性として同情されることは、今現在、ありません。誰も救ってくれません。弱者男性の嘆きをツイートしたところで、仲がいいと思っていた女の子も、いつもいいねを送っているあの子も、ほしいものリストからものを送ったことさえある人も、だれも、助けてくれません。同情さえ示してくれません。気持ちを案じてさえくれません。弱者男性は生物学的にも、社会構造的にも、強者男性や女性から見れば「捨て駒」なのです。

しかし、日本でにわかに弱者男性ブームが来ている今、少しだけ希望が持てることがありました。

トイアンナさん著「弱者男性1500万人時代」
透明な存在である弱者男性をインターセクショナリティという概念でもって浮彫にして、支援の希薄さ、当人の感情、弱者男性が受けている差別などを丁寧に説明してくださっている本でした。
ですが、私は本書の内容よりも帯にプリントされた、たぬかなさんの言葉に最も感動をうけました。

「お前はお前を愛せない、女もお前を愛さない。それだけで人生はこんなにも過酷だ」

弱者男性にここまで理解のある言葉を女性が発言していることが、すごく励みになりました。
もちろん、弱者男性の中でも女性に不自由していない方もいるし、女性なんてどうでもいいという人もいると思います。また、特に重たい疾患を持っていたり、2重3重の弱者性を持っている人には共感よりも支援をくれという人もいて、それはそうあってほしいと思います。
だけど、私のような恋愛で躓いているアダルトチルドレンなどは、泣きながら「愛着障害 男性」「アダルトチルドレン男性 恋愛」などで検索したあの日に、だれの言葉でもいいから代弁してくれる言葉が欲しかった。私の苦痛は他の誰かも抱く痛みだと、それだけ感じられれば良かったのです。

話が明後日のほうに行きそうなので、今回はいったん〆ますが、要は、弱者男性のコンテンツはそれだけで、未来の弱者男性に力を与えうる情報遺産になると私は思っています。だから、私と志同じくする仲間、あるいはライバルがこれを読んでいたら、語ってください。共有してください。弱者男性が躓いてしまったときに、立ち上がるための固い地面のようなイデオロギーを築いていきましょう。




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