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論文マラソン33 廣田孝「京都画壇近代化の一様相ー美工から絵専へー」

本日3本目は、廣田孝さんの「京都画壇近代化の一様相ー美工から絵専へー」(『美学』40巻1号、1989年)です。

構成:
はじめに
1 卒業制作品に認められる変化と問題の提起
2 「山水/風景」の卒業制作品における比較と検討
3 美工の教科内容
4 ヨーロッパから帰国後の栖鳳
5 まとめ

京都市立美術工芸学校(美工)と京都市立絵画専門学校(絵専)の卒業制作品における画題の変化、表現・筆法の変化を探り、変化の時期、内容、原因を追究する。

卒業制作とは、まさに教育の成果、その折々の授業内容の反映にほかならない。
美工の卒業制作品は明治37、8年を境に、宗教、説話、有職故実、歴史に取材した作品がなくなり、動物、花鳥の分野ばかりになっていくのだそうだ。

京都府画学校時代の教育:手本主義

明治25年以降:運筆重視。だけど、栖鳳など若手はヌエ派を示す

明治34年:栖鳳帰国、「写生」を重視。美工の教育方針も、運筆から写生へ。

明治37、38年:栖鳳の新たな方針が反映される頃。「写生」を生かせるジャンルとして、動物・花鳥の作品が増えたのでは?
とのこと。

面白いですね😊

12分

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