うえた🐥ひよこ

京都で学芸員をしています。専門は日本近代美術史。ここでは、美術のこと、日常のこと、考えたことなどをゆるく書いていこうと思います。2020年秋からダイエットにも励んでおります。よろしくお願いします。

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最近の記事

論文マラソン47 長嶋圭哉「土田麦僊の花鳥画と古典絵画観—二つの《罌粟》を中心に」

皆さん、こんにちは。お久しぶりの論文マラソンです。遅れていた原稿を終え、少し余裕が出た?ので、更新です。 今日、ご紹介するのは、長嶋圭哉さんの「土田麦僊の花鳥画と古典絵画観—二つの《罌粟》を中心に」(『近代画説』30号、2021年)です。 目次構成:はじめに      一 前史——大正期の花鳥表現      二 麦僊の古典絵画論      三 《芥子》(大正十五年)の制作経緯      四 《罌粟》(昭和四年)の制作経緯      五 二つの罌粟図の比較      六 麦

    • 論文マラソン46 狩野博幸「若冲は孤独だったか」

      狩野博幸さんの「若冲は孤独だったか」(『若冲と光瑤』展図録、石川県立美術館、2018年)も拝読。 若冲のこと、というか、大典和尚と売茶翁のことが丁寧に書いてありました。 若冲は売茶翁の人生をなぞったのだろう、と。 15分。

      • 論文マラソン45 安村敏信「石崎光瑤と若冲」

        お次は、安村敏信さんの「石崎光瑤と若冲」(『若冲と光瑤』展図録、石川県立美術館、2018年)です。 目次構成 はじめに 一.若冲筆《仙人掌群鶏図襖》に至る道 二.光瑤が西福寺障壁画発見に至る道 三.光瑤が若冲金碧画に見たもの ここでの問いは、「琳派の画家で装飾的な画風を探求し続けたであろう光瑤が、琳派とは全く関係のない若冲作品の模写をなぜ行ったのか」「その結果として第七回帝展に出品されたと思われる《家鶏二図》は、光瑤の画業の中でどう位置づけられるのか」である。 若冲は《

        • 論文マラソン44 渡邊一美「石崎光瑤 その画業と生涯」

          渡邊一美さんの「石崎光瑤 その画業と生涯」(『若冲と光瑤』展図録、石川県立美術館、2018年)を再び丁寧に読み返しましたので、論文マラソンに載せちゃおう。 目次構成  ◇生い立ち 父石崎和善の肖像 第一期 二人の師 画家としての出発と成長  ◇琳派との出会い  ◇京都画壇 竹内栖鳳門入門  ◇山行と写真  ◇若冲への憧れと研究 第二期 絢爛の花鳥画 大正7年(1918)〜昭和2年(1927)  ◇第一回インド行  ◇新しい花鳥画の確立 第三期 さらなる画業の深まり 大正15

          論文マラソン43 豊田郁「土田麦僊の欧州遊学をめぐって」

          こんばんは。今日はもう一本、ご紹介します。豊田郁さんの「土田麦僊の欧州遊学をめぐって」(『文化交渉:東アジア文化研究科院生論集(関西大学)』5号、2015年11月)です。 面白く拝読。 目次構成: はじめに 一.欧州遊学で得たものーイタリア旅行を中心に  1.イタリアで得たもの  2.ヨーロッパで見た日本美術 二.フランス近代美術のコレクション  1.コレクション購入の過程とその意図  2.購入できなかったもの、しなかったもの 三.現地での作品制作ー《ヴェトイユ風景》《巴里

          論文マラソン43 豊田郁「土田麦僊の欧州遊学をめぐって」

          論文マラソン42 上薗四郎「国画創作協会の画家たちとフランス近代絵画ー小野竹喬を中心として」

          今日の論文は、上薗四郎さんの「国画創作協会の画家たちとフランス近代絵画ー小野竹喬を中心として」(『美術フォーラム21』23号、2011年5月)です。 構成: ・日本画をつかむための渡欧 ・西欧美術研究の実践 ・エトランゼとして日本を見る 小野竹喬の渡欧は、1921年10月から1922年5月まで。行きは土田麦僊、野長瀬晩花、黒田重太郎と行き、帰りは一人で帰国。 最初にフランス、パリへ行き、イタリア、スペイン、イギリスをまわっている。 ちなみに、入江波光は1922年4月から渡

          論文マラソン42 上薗四郎「国画創作協会の画家たちとフランス近代絵画ー小野竹喬を中心として」

          論文マラソン41 大西廣「絵の居場所から生成すること」

          論文というか、対談エッセイですが。大西廣「絵の居場所から生成すること」(入澤美時『考える人びと』双葉社、2001年)を読みました。 ちょっと前に友人にこのコピーをもらったのです。大西廣さんと言えば、私は学生時代に「一休をめぐって何が起こったか」という論文を読んだり、渡辺崋山の連載を読んだりしたものですが、学生時代の私にも面白いなあ思えるような研究をされる方でした。 ここのところ、日本近代ばかりやっているので、遠のいていたのですが、久しぶりにその考えの一端に触れることができ

          論文マラソン41 大西廣「絵の居場所から生成すること」

          論文マラソン40 松井菜摘「画学生と動物園ー京都市立美術工芸学校卒業作品について」

          サボっていた論文マラソンを復活してみました。 今日の論文は、松井菜摘さんの「画学生と動物園ー京都市立美術工芸学校卒業作品について」(『京都市立芸術大学芸術資料館年報』27、2018年3月)です。 構成: 1.はじめに 2.卒業作品に描かれた動物たち 3.動物園の風景 4.おわりに 京都では明治37、38年から花鳥・動物を画題とする卒業作品が増えるというのは、竹内栖鳳が写生重視の教育方針を打ち出したため、とよく言われますが、 明治36年に京都市動物園が開園したことにも起因

          論文マラソン40 松井菜摘「画学生と動物園ー京都市立美術工芸学校卒業作品について」

          論文マラソン39 中村麗子「明治期から昭和初期における伊藤若冲の受容について」

          ご無沙汰の論文マラソンです。 今日の論文は、中村麗子さんの「明治期から昭和初期における伊藤若冲の受容について—文献分析を中心に—」(『美術史論叢』19号、2003年)です。 もう20年前の論文になるのですね・・・。再読しました。長めの論文だけど、面白くて一気に読みました。 若冲が、明治初年から昭和10年頃までに雑誌でどのように紹介されていたかを、網羅的に調べた上で、日本美術史の書物の上での評価も考察した論考です。 目次: 明治期 明治末年から大正期、昭和初期 光琳との結び

          論文マラソン39 中村麗子「明治期から昭和初期における伊藤若冲の受容について」

          論文マラソン38 藤本真名美「谷口香嶠と京都の歴史画」

          さてさて、今日はいっぱい読んでおります。この論文は再読ですが、論文マラソンに載せてなかったので、紹介します。藤本真名美さんの「谷口香嶠と京都の歴史画」(『京都画壇の明治』展図録、京都市学校歴史博物館、2018年)です。 目次構成: はじめに 1.「京都の歴史画」前史 2.歴史画の先覚者 久保田米僊 3.歴史画家 谷口香嶠の台頭 4.歴史画流行の契機―第四回内国勧業博覧会 5.京都における歴史画の最盛期 おわりに 京都における歴史画って、普通あんまりイメージがなくて、谷口香

          論文マラソン38 藤本真名美「谷口香嶠と京都の歴史画」

          論文マラソン37 『卒業制作 日本画聚英』

          こんにちは。午後も頑張ります。 今度は、京都市立芸術大学美術学部編『画学校〜京都芸大一〇〇周年記念 卒業制作 日本画聚英』(京都書院、1980年)に掲載されている論考を紹介します。 この画集には京都市立芸術大学所蔵の卒業制作のうち、明治28年4月から昭和24年3月卒業までの日本画の全作品が収録されているのだから、貴重です。 パラパラ見るだけでも、早い時期には歴史画が多く、花鳥・動物のイメージの強い京都日本画の変遷がよくわかります。 巻末には、御大お二人の若かりし日の論考が

          論文マラソン37 『卒業制作 日本画聚英』

          論文マラソン36 岩崎雅美「近代にイメージされた奈良朝服飾」

          おはようございます。 今日の論文は、岩崎雅美さんの「近代にイメージされた奈良朝服飾―東京美術学校の制服・裁判所の法服・京都市美術工芸学校の制服・奈良女子高等師範学校教官の職服を例に」(『古代日本と東アジア世界』2005年12月)です。 目次構成: 1.はじめに 2.東京美術学校の制服  2−1.制服の制定    (1)岡倉校長の制服    (2)教員の制服    (3)生徒の制服  2−2.制服誕生時の精神  2−3.学内外の評判  2−4.制服の廃止とその後の服装    

          論文マラソン36 岩崎雅美「近代にイメージされた奈良朝服飾」

          論文マラソン35 平野重光「京都市立絵画専門学校と京都画壇」

          今日ご紹介するのは、平野重光さんの「京都市立絵画専門学校と京都画壇」(『美術京都』3号、1988年十二月)です。 京都市立絵画専門学校草創期の校長である松本亦太郎の言葉を多く引用しながら、草創期の絵専の様子や、文展で活躍した画家たちの様子を記述しています。 松本亦太郎は重要人物ですね。

          論文マラソン35 平野重光「京都市立絵画専門学校と京都画壇」

          論文マラソン34 廣田孝「美術工芸学校と京都画壇」

          おはようございます☀ 今日の論文は、廣田孝さんの「美術工芸学校と京都画壇」(『美術京都』3号、1988年)です。 目次構成: 1.はじめに 2.画学校の創立と京都画壇 3.画学校以前の画家養成 4.画学校の教科内容 5.京都画壇の世代交代と美工の充実 6.栖鳳の教育方針 7.絵専設立後の美工 画学校以前の教育:徒弟制度 画学校設立:徒弟制度によらず、学校教育で画家になれる可能性がひらけた。 画学校の教育:手本主義、実技実習ばかり.だけど、徒弟制度によらない学校教育には、生

          論文マラソン34 廣田孝「美術工芸学校と京都画壇」

          論文マラソン33 廣田孝「京都画壇近代化の一様相ー美工から絵専へー」

          本日3本目は、廣田孝さんの「京都画壇近代化の一様相ー美工から絵専へー」(『美学』40巻1号、1989年)です。 構成: はじめに 1 卒業制作品に認められる変化と問題の提起 2 「山水/風景」の卒業制作品における比較と検討 3 美工の教科内容 4 ヨーロッパから帰国後の栖鳳 5 まとめ 京都市立美術工芸学校(美工)と京都市立絵画専門学校(絵専)の卒業制作品における画題の変化、表現・筆法の変化を探り、変化の時期、内容、原因を追究する。 卒業制作とは、まさに教育の成果、その

          論文マラソン33 廣田孝「京都画壇近代化の一様相ー美工から絵専へー」

          論文マラソン32 塩川京子「逝った画家たちへの恋文抄」

          さて、本日2本目は 塩川京子さんの「逝った画家たちへの恋文抄」(『美術京都』22号、1999年1月)です。読みやすいエッセイ調です。 構成: はじめに 冨田溪仙様 福田平八郎様 土田麦僊様 福田平八郎が昭和17年に言った言葉を引いておられるのですが、 「そこに古典化された伝統がある。そうした伝統を最初に作った人は、いろいろ研究してあゝでもないこうでもないと苦心した末、結局一つの色や形を突きとめたのだと思う。それまでの経過が非常に貴重な経験なのだ。(略)どうしてそんな色や形

          論文マラソン32 塩川京子「逝った画家たちへの恋文抄」