「嵐」の話
きっかけは、ぼくが保育園に通っていた頃まで遡る。
そこにいた保育士の先生が嵐のファンで、その人にメンバーのことや楽曲のことなどを英才教育の如く叩き込まれ、物心がついたときには完全なるファンとして完成していた。派生し、母や妹もファンになった。
ファンでもあり、だがぼくの中では憧れでもあった。「俺も6人目の嵐に!」などと調子に乗ってジャニーズ事務所に履歴書など送っていようものなら人生最大の黒歴史となっていたところだがそこは当時から身の程は最低限弁えていたのか、そのような行動には至らず、そこは当時の自分を褒めたい。
そんなぼくが初めて母と一緒にライブに行くこととなったのだが、それはまだ小学校に入ったばかりの頃、「Dream "A" live」というアルバムを引っ提げて行われた初のドームツアーである。
米粒よりも小さい舞台上の嵐のメンバーやその時に母親が来ていた服装、ライブの帰りにモスバーガーで夜ご飯を食べたことまで、15年も前のことなのに、未だに鮮明に覚えている。それだけぼくの人生の中でも印象的な出来事なのだ。
そこから本当に運が良かったと思うのだが、2013年までドームツアーには毎年足を運ぶことができた。
ライブDVDももちろんあるが、自分でリアルに目に焼き付けた光景というのはなかなか強く印象に残り、簡単に忘れられない。どのあたりの席に座っていたか、そこから見える景色、演出など、ほぼ全ての回でそれを覚えている。
しかし2013年に行われた「LOVE」ツアーを最後に、ぼくは嵐のライブに行かなくなってしまった。
それはなぜか。中学校に入った辺りのタイミングで、なんか嵐のライブに行ってることが小っ恥ずかしくなってきちゃったのである。
思春期ならではなのだろうか。最後に行った「LOVE」ツアーでも、コンセプトが大人っぽかったこともあり、まだまだガキのぼくはあまり楽しく感じられなかった。
部活が忙しいからと適当な理由をつけ、結局そこから2020年に活動を休止するまで、リアルで見に行くことは一度もなかった。ぼくが人生で最も後悔していることの一つである。
ある程度大人になった今だから楽しめた所もあるんじゃないかとは思う。やはり「嵐のライブ」というと特に近年顕著なのが演出だろう。歌やダンスはもちろん、映像だったりそれにリンクさせた音楽やら照明やら、もうとにかくライブにおけるあらゆる演出が至上のエンターテインメントとして評価されている。
子どものぼくにはその凄さが理解できなかったのだ。
そしてそのままずっとライブに行くことはなく、2020年いっぱいで活動を休止するというニュースが日本中、いや世界中を駆け巡ったのだが、その頃ぼくは大学生になろうとしていた。
最初は信じられなかったが、もしかしたら当分見られなくなるかもしれないと思うと嵐への熱は再燃し、その後コロナ禍へ突入してしまったが、オンラインで配信された「アラフェス2020」や「This is 嵐 LIVE」は母や妹と共に見ることができた。
7年ぶりの嵐のライブはとても久々で、懐かしく、でも寂しい、というような、なんだかすごく複雑な感情になった。
でもやっぱりぼくはこの人たちが好きなんだ、ということは改めて感じた。なんとなく男が男のグループを好きなのが恥ずかしくなってちょっと距離を置いていた時期もあったけど、それでも心の奥底では何年経っても変わっていなかった。それを認識できたことも嬉しかった。
そして2020年12月31日。
活動休止前最後の配信ライブを見ながら、言うまでもなく母と妹は号泣していた。
ぼくも一緒にリビングにいたが、最後の方はあまり画面を見ることができなかった。
静かに泣ける自信がなく、男子大学生がオイオイ声をあげて泣いてるのは見てらんないなと思い、画面を見ないようにしていた。
でも、我慢することはできなかった。
ぼくが物心ついたときから大好きで大好きで、心の底から憧れていた5人。
いつか…。またいつか会えるのだろうか。
そんなことをふと考えるのだ。
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