単純作業
いわゆる単純作業と言われるようなもの。ぼくはこれがどちらかというと得意な方である。
例えば原田宗典先生がエッセイで書いていた、学生時代にやっていた「ベルトコンベアで流れてくる肉まんをサッと手で取ってパッと網に乗せるアルバイト」というようなもの。これはもう単純作業の極みといった感じである。
やっている時間が長すぎると頭がおかしくなりそうな作業ではあるが、根本的にこういう作業を苦痛に思わないタイプだ。
今のバイト先でも単純作業のものが結構あって、個人的には全然嫌いじゃない時間である。
ぼくは根本的にバカなので、まず大前提として「何をするにしても基本的に頭を動かしたくない」というのがある。
決まった動きだけを延々繰り返していればよい作業は、脳みそを回転させる必要がないからそういう意味で楽なのである。
ぼくのこのような性格は、おそらく母親から受け継がれたものだと考えられる。
ぼくの母もぼくと同様、単純作業が大好きな人間である。
本当に全く苦痛に思わないらしい。ぼくは同じタイプなので分かるが、分からない人には本当に分からないだろう。
例えばゲームなんかでもそうだ。
母は一時テトリスなんかをちょっとだけやるつもりで気づいたら平気で3時間が経過していたことがあったなんて話をしていた。
こういうタイプのゲームをやると一生やっちゃうのが分かって怖くなったからそれからはやらないようにしているとも話しており、それを自覚してるだけでも凄いことなのでは、と思ったりもした。
かく言うぼくもやはりこういったゲームはとても性に合っていると自分でも思っている。
例えば、小学生の時に某進研ゼミから届いた、九九を覚えるための付録。ゲーム形式で九九が覚えられるといった代物で、タイムアタックのゲーム的なモードがあったのだがぼくは一時はずっとこれをやっていた。
ただ九九が画面に出てきてボタンを押して答えるだけのものだから別に特別楽しい要素とかはないし、「全国九九タイムアタック選手権」とかが開催されるわけでもないのに、とにかく飽きることなく延々とやっていた。
そして小学生の時にとどまらず、最近でも、Drop the Numberという数字版テトリスみたいなアプリを暇さえあれば延々やっている。元々熱っぽく冷めやすい性格なのも相まって、ぼくがRPGとか、世間的に流行っているようなゲームにあまりハマらない理由が自分でもよく分かる。
ただ、就職先が単純作業をずっとやっているだけの職業という感じでもなさそうなので、自分の性格上、社会人として生きていけるのかは今から若干心配ではある。
何も考えず、ボーっとしながらひたすら九九を答えるだけの仕事があったらどんなに楽だろうかと、ボーっとしながらバカなことばかり考えているわけだが。
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