配慮できないINTJ女が配慮を考える話

現代は、どうやらいろんな人や物に配慮をする必要があるそうだ。障害者に配慮や支援をすることで、彼らが働きやすく生きやすくなるなら、当然必要なことだろう。
ただ、最近は強者は弱者に絶対的な配慮をすべき、という空気を感じる。ここでいう強者は、経済的な成功者や障害者に対しての健常者だけではなく、繊細でない人や他人軸でない人も含まれているように思う。

そもそも、繊細だから、他人軸だから、という理由で自分の主張を他人に押し付ける人は、繊細でも他人軸でもないと、繊細でない自分軸の私は思ってしまう。だが、それが許されるのは、やはり配慮すべしという空気のせいなのか。そもそも本当に許されているのか。
この辺りのことは、よくわからない。

私はINTJだ。だから、というわけでもないが、人の気持ちがいまいちわからない。わからないというよりは、人の感情に配慮するという思考回路が貧弱すぎて、上手くできていない。
そんな私は、人の感情に配慮すべしという空気を感じるし、実際言われたこともある。人に指摘されるくらいなのだから、よほどできていないのだろう。

私は、人に嫌われても構わない。構わないというだけで、嫌われたいわけではない。人を傷つけてしまっても仕方ないと思う。仕方ないというだけで、傷つけたいわけではない。
私も人を嫌うことがあるし、傷つけられることもあるからだ。誰しも人を嫌うし意図せず人を傷つけてしまうことはあると思っている。だから、自分にも許している。
嫌われたいわけでも傷つけたいわけでもないが、上手く人の気持ちに配慮できない上に、そんな自分を許しているから、誤解される。

以前の職場でこんなことがあった。
取引先の人がお土産のお菓子を持ってきてくれた。いつも率先してお菓子を開封する人がたまたま休みだった。お菓子はそのまま冷蔵庫へ行き、その日は眠ったままだった。
翌日、お菓子を開封する人が出社して、お菓子をもらったこと、開封せずに冷蔵庫に入っていることを伝えた人がいた。「みんながいる日に食べた方がいいよね」と言っていた。それを聞いて、彼女は怒った。なぜ怒ったか、わかる人はいるだろうか。

彼女は「私はお菓子開封係じゃない、食べたいなら勝手に食べればいいでしょ」と言っていた。私は一連の流れを傍観していただけだったが、衝撃だった。
誰も彼女が休んでいてお菓子を食べられなかったことを責めたわけではないのだ。なのに、彼女は怒った。元々ネガティブで被害者意識が強い人ではあったが、そう捉えるのかと驚いた。

どれだけ人に配慮をしても、人間は必ず自分の心や脳のフィルターを通して物事を処理する。そのフィルターが事実を歪めることが起こり得る。認知が歪めば、事実が歪む。
お菓子の例は滅多に起こらない事例かもしれないが、ありもしない悪意を見出す人や他人の発言を全く別の意図に解釈する人はどこにでもいる。おそらく私も知らぬ間にしているのだろう。そして、他人を驚かせているだろう。

そのフィルターがどんなものか知るために、自己理解ツールであるmbtiや16パーソナリティがあると私は思っている。自分の考え方、世の中の捉え方を知れば、自分とは違う捉え方をしている人がいることも理解できる。
自分と他人の考え方の癖、頭や心にかかるフィルター、認知の歪み、そういうものをお互いに知って許し合うのが、私の思う配慮だ。

人間である以上、フィルターを外すことはできない。「先入観を持たずに」と意識高そうな啓発本には書いてあるが、先入観を持って判断しようとしてる人などいない。知らぬ間にしているのだ。
フィルターがあること自体が悪いことではない。だから多様性が生まれるのだ。一度心と脳をリセットしたとしても、どうせ情報の取捨選択によってフィルターが出来上がる。

「女だから仕方ない」「INTJだから仕方ない」「独身だから仕方ない」と言いたいのなら、
「男だから仕方ない」「ESFPだから仕方ない」「既婚だから仕方ない」も認めるべきだ。許し合うべきだ。
そして、それが私の思う配慮の形だ。

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