INTJの生きづらさを最低なINTJが考えた話

私は本当に運良く生きづらさ生きにくさを感じずに生きてこれた。ただ幸運だったり能天気だっただけだが、せっかくなら悩めるINTJの役に立ちたい。同じINTJに生まれた人にも人生を謳歌してほしい、という思いでこの記事を書く。INTJといっても人によるから、参考になるかどうかはわからないが。

私は初めてmbtiや16パーソナリティに触れて自分がINTJだと知った時、INTJの人生楽勝だと思った。自分が楽勝人生だったからだ。だが、どうやらINTJは生きづらさを感じやすいタイプのようだ。
よくある生きづらいランキングがどの程度信憑性があるかはわからないが、大体他のINたちと生きづらさを競い合っている。生きづらさ四天王だ。
INFPの一人勝ち感は否めないが、INFPとしても勝っても嬉しくはあるまい。

まず、私は欠点を無理に改める必要はないと思っている。その手の記事も書いたことがある。欠点のような瑣末なことを気にするより、どんな人間になりたいかを考えて、その自己像に近づく方が大切だと考えている。そういう意味では、生きづらさを抱えたままでもそれでいい。
どう生きようが、自分のなりたい自分になれた人が勝ち組なのだ。木を見るより森を見るべきだ。

だが、どうせなら毎日を謳歌してほしい。ならば、長所を際限なく伸ばしてみるのはどうだろうか。長所だって伸ばしすぎれば欠点になる。欠点も見方を変えれば長所になる。
自分が自信を持っているところを伸ばすのは、欠点を直すよりはやりやすいはずだ。

例えばINTJの得意技は俯瞰的に見ることだ。
いわゆる、神から目線だ。全体を上から俯瞰できるのであれば、実際に神になってしまえばいかがだろうか。
頭おかしいと思われるかもしれないが、私は実際そう考えている。私は思いやりや優しさ謙虚さに難点がある。指摘もされるし、それで思わぬトラブルに巻き込まれることもある。本来は直すべき欠点だろう。
そこで、自分の中の神にご登場いただく。

「思いやり?優しさ?謙虚さ?そんな人間のルールを神である私に適用なさらないでいただけます?」
そう、要は開き直りだ。図太さだ。まさに謙虚さのかけらもない発想だ。
欠点や至らなさを直せずに苦しんで生きづらさを抱えるよりは、開き直って自分を肯定した方が健康的だ。それで人に迷惑をかけるかも、変に思われるかもと考える必要はない。
勝手に思わせておけばいい、神なのだから。迷惑をかけたら謝る方がいいが、どう生きてもどうせ迷惑をかけてるのだ。何を今更。

それでもなお、誰かに欠点を指摘されたらどうするか。「今の私にはまだ直せそうにない、あなたはどうやって自分の欠点に向き合ってる?」と相手の話にすり替えてしまえばいい。
どうせ相手だって碌に自分の欠点には向き合ってない。攻撃的だったり相手の欠点を指摘するのが好きな人は、自分の内面を見ていない。だから、攻撃や指摘を出来るのだ。

話をすり替えるな、私の話は関係ないと言われるかもしれないが、「欠点を治す参考にしたいから教えてほしい、本気で教えてほしい」とダメ押しして黙らせよう。
相手がINTJなら、欠点との向き合い方を教えてくれるかもしれないが、大抵はめんどくさなって逃げていく。生きづらさや心の痛いところを刺してくる相手の相手を律儀にする必要はない。追い払えば十分だ。

開き直る、論点をすり替える、黙らせる。それをやり切る図太さと図々しさと白々しさと胡散臭さ。
私を最低な人間だと思うだろうか?私は最低だと思う。思うが、そんな自分が好きだ。生きづらさを感じている人は私より遥かに立派な人間性を持っている。こんな私が自己肯定感高く人生を謳歌しているのは悔しくはないか。
最近、歳をとって図太くなったと人に言ったら、あなたは昔からそうだと言われてしまった。若い頃からそうだったのだろう。
自分の方が立派なんだから人生を楽しんでいいんだと思ってもらえれば幸いだ。

そして、生きづらさを感じなくなって、自分はどう生きても大丈夫だと思えるようになったら、欠点に向き合えばいい。その頃には、欠点すら愛せているかもしれない。
そんな生き方をして嫌われるのではないかと思うかもしれないが、どんなことでも堂々と言い切れば案外みんなそんなもんかと思ってくれるものだ。私も「上杉は理不尽だし傲慢だけど、そこが面白い」と言ってもらえる。

その変わりといってはなんだが、自分だけが神だとは思わないことだ。迷惑をかけたら謝る。相手の迷惑も受け入れる。許す。それができるなら今すぐ神になった方がいい。
大丈夫、私たちは人も社会も世の中も許せる、なぜなら私たちは神なのだから。

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