できる人にはできない人の気持ちがわからないって話

自分語り。老害が好きなやつ。

私は社会人になるまで、圧倒的にできない側の人間だった。勉強も運動も習い事も、すべて平均点以下だった。できない側にいた私にとって、「できる人にはできない人の気持ちはわからない」と言うのは、できない側の僻みだと思っていた。でも、ようやく、本当にできる人はできない人の気持ちがわからないのだと気づいた。

社会に出てもしばらくの間、私はできない側だった。自分にはどんな仕事が合っているのか、適性があるのか、考えずに選んでいたからだ。転職がきっかけで今までやったことのない仕事を始めた。そこで、こんな私が、初めて褒められたのだ。
その後、私はもっと自分が合った仕事を探すようになった。資格を取り、転職した。

今の仕事は、自分に合っていると思う。評価もされていると感じる。私はできる側に立った。そしてようやく気づいた。できる人はできない人の気持ちがわからないのは、本当だと。

適性がある場合、初めてやる仕事でも、やってみればできてしまうのだ。考えたり工夫はするものの、悩んだり迷ったりすることなくできる。ゴールや目的が見えている、ということなのかもしれない。
どこへ向かって行けばいいのか、何が必要なのか、そういうものが自然と見える。
だから、できない側を見て、なぜできないのか理解ができない。何がわからないのか、何ができないのか、何で躓いているのかがわからない。
何がわからないのかを聞いても、それを明確に答えられるようならできない側にはいない。

相手が新人であれば、全てがわからないのだから、一から説明すればいい。
だが、相手が同僚や先輩だったら、一から説明をしても「それはわかってるんだけど」と言われてしまうのだ。本人は頑張っていないわけではない。努力はしている。質問もしている。
ただその努力や質問が驚くほどピントがズレている。

私は以前接客業をしていた時、「お前向いてないよ」と言われたことがある。その時は、わかってはいるけどそこまで言うか…と思った。
だけど、仕事の向き不向きで本人だけでなく、周りもフォローやサポートの負担が増える以上、向いてない人に向いてないと教えてあげるのは優しさだったのだなと、今では思う。

仕事のできる人は、地頭や要領がいいということもあるだろうが、それ以上に求められるのが適性だと思った。
私は残念ながら頭がいい人間ではないが、適性がある仕事なら、この仕事がどこの誰に繋がってどう影響するのかが、自然と見えるのだ。
私は接客していた時は、そういったことがまるで見えてなかった。必要性も方向性も全く理解できていないまま、指示に従っていた。努力や質問がズレていたのだと思う。

できる側に立つと、想定外のミスや勘違いをする人、簡単にミスを防げる方法があるのにやらない人、同じミスを何度も繰り返す人を、つい「頭が悪い」と表現してしまう。
目の前にある見えている穴に自ら入りに行っているように見えるのだ。そして、できる側はそこにポッカリ空いてる穴が見えていないとは思わない。できない側は本気で見えていないのだ。できる側が突然方向転換をして最短距離から外れたことしか見えていない。だから、そのまま直進して穴に落ちたり、真似をしようとして他の穴にハマる。

今、仕事ができなくて悩んでいる人は、一度本気で自分の適性について考えてみるといい。
自分に合った仕事が見つかれば、自然にできる人とみなしてもらえるのだから。
気休めではなく、本当にそう思う。できる側とできない側、両方を知っている私は、そう思う。

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