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ぼくのBL 第三十一回


はじめての海外旅行 その1


 
 みなさん、こんばんは。
 おや? 今回はアイドルでも本の話題でもなく、海外旅行ですって? 珍しいことがあるもんだ、と思ったアナタ。お目が高い。
 そうです、今回は熱狂の渦から少し離れたところから書き始めたいと思います。
 なぜ急にこの話を書こうと思ったかといえば、それは……アイドルが絡みます。
 やっぱりか!
 でもね……本も絡んでくるからいいと思うの!

 昨夜、あなたのチャットにお邪魔したときに、インド料理店の話が出たので、思わず学生時代にインド旅行をしたと書き込んだところ、想像以上のリアクションだったのでぼくも驚きました。
 まあ当時ぼくの周囲の人たちも相当に驚いてましたけどね。

 過去の栄光について眼を輝かせながら喋る男の姿ほど淋しいものはない、と思った。

『刑事失格』 太田忠司

 栄光というほど美しいものじゃないし、自慢するほどのことでもないので、最近知り合った方々にはあまり話していませんが、もしこんな本オタ+ドルオタの与太話でも聞いてみたいという方がいるのであれば、記憶の図書館に足を踏み入れて、久しぶりに当時のことを思い出してみようと思います。


 さて本題に入りましょう。
 人生最初の海外旅行。その行き先はインドでした。しかもひとり旅。ツアーじゃない、2週間の旅でした。
 ここで大半の人は引いてしまうでしょう。
 うえぴーマジか、変なヤツだとは思ってたけどやっぱり……。
 
 まあ先を焦らず、ひと息入れてください。
 
 高校のころ恩師が二人いて、そのうちの一人が2年と3年時にぼくのクラスの担任になったN先生でした。
 演劇部の顧問で、熱血漢で、涙もろくて、少しアナーキー。
 ぼくはN先生に、人生の道をほんの少し踏み外す方法を、考え方を、教わりました。おそらく先生はそんなつもりは毛頭なかったと思いますが。
 先生は社会科の担当でした。
 日本史、世界史。苦手な生徒には放課後に特別な授業をしてくれました。
 世界史でインドの話題になったときです。
「んーえー、ここにこんな本があります。えーと、妹尾河童という舞台芸術家の人がいるんだけど」
 先生は演劇部の顧問です。きっとそちら方面の知識として存在を認知していたのでしょう。ぼくらの方に向けていた文庫本の表紙を、いっぺん自分の方にクルリと向け直して、「『河童が覗いたインド』っていう本ね」
 表紙は細密画を思わせる、インドにありそうな建築物のイラストでした(いま書影を調べてみたら、タージマハルを空から見た想像図が書いてありました)。
 そのあとどんな話を先生がしたか、今では思い出せません。何しろ30年以上も前の話です。上記の描写も、ほぼ創作です。
 でも、その授業のあと、猛烈に気になったぼくは、先生の元へ駆けよりました。
 見せてもらったその新潮文庫の中は、著者が描いた鉛筆画で埋め尽くされていました。
 建築物に限らず、町なかの風景、いろんな商売をしている人たちの描写、ページをめくるたびに、ぼくは世界の広さを胸に突き付けられました。
 2年くらい経って、実際に自分がその国に行くことになるとは、それも一人で行くことになるとは、当時のぼくは思っていなかったでしょう。
 以前も書きましたが、大学受験はミステリ研究会のある某大学を単願受験して見事に失敗。一浪して再度挑戦しましたが、またもや不合格。親からは「お願いだから滑り止めの学校も受験してくれ」と言われ、嫌々受験したところは合格したものの、行きたくなかったので合格証を隠していました。
 ところが親も必死です。怪しい雰囲気を察知したのでしょう。ぼくが不在のあいだに隠し場所から見つけ出し、帰宅したぼくを問い詰めました。これはどういうことなの、2浪もさせるほどこの家はお金持ちじゃないのよ、頼むから行くだけ行ってくれ等々、説教あり泣き落としあり、すったもんだの挙げ句にぼくも首を縦に振るしかありませんでした。
 いま考えれば私立の大学に通わせてくれるなんて、贅沢極まりない話ですよね。当時のぼくには親の有難みがまったくわかっていなかった。
 今さらだけど、ごめんね、ありがとう。
 
 さて、そんなわけで行きたくもない大学に行くことになり、ミステリ研究会もないとなると、どんなモチベーションで通ったらいいのでしょうか。
 大学案内という分厚い冊子を見ると、サークル紹介が載っていました。
 落語研究会……ちょっと興味あるけど、演じるよりも観る方が好きなんだよな。
 茶道部……これはいいな、詫びと寂びの世界を経験するのも悪くないかも(実際1年間在籍した)
 探検部……ん? 活動報告には「ネパールを自転車で縦断」とある。すご! つうか面白そう! ここにしようかな……でも怖いな……でも……。
 てな訳で、新入生勧誘の場に行ってみました。
 近くの河原で歓迎のバーベキューをするから希望者は来なさい、もちろんお代はいらないよ、ということでホイホイついて行ったところ、見事に落とされました。
 入部が決まり、先輩から今後の予定が発表されました。
 新歓合宿というのを4月末から5月上旬の、いわゆるゴールデンウィークに実施するから、一年生はそれに参加すること。ついては基本的な装備を揃えるため、神田神保町のアウトドアショップに買い物に行くから最低限の必要経費を持ってくるように、とのこと。
 アウトドアという文化はその当時、まだつぼみの段階でした。まわりを見回しても登山ガチ勢がごく少数、それ以外はアウトドアでテント泊はおろか、バーベキューすらほとんど誰もやっていない状態でした。今となっては信じられない話ですが。
 ショップに行って、ザック(60~80リットル)、登山靴、寝袋、雨具、食器、コンパスなど、先輩に言われるがままに購入。これまでの人生で見たこともないアイテムばかりで、とても興奮しましたね。
 4月の下旬。学校も1週間ほど休みになるタイミングで、初めての合宿に参加しました。
 目的地は神津島。東京都の離島です。
 竹芝桟橋からフェリーに乗り約十時間。初めての船旅ですが、お金のない学生です。2等だか3等だか、いちばん安い乗船料金を払って乗り込むと、もちろん個室なんてものではなく、毛の短い絨毯敷きの広間。そこに雑魚寝です。
 
 あ! ぼくはインドの話をしているはずのに、なぜ神津島に向かうフェリーの話を書いているのだ?

 今回のタイトルは「はじめての海外旅行」……本州から出たことのなかった大学1年生のぼくのはじめての海外は、実は神津島でした!
 ってオイ!
 意図せずに叙述トリックを使っていたみたいですね。書いてる自分が一番びっくりしていますけれど。
 
 さて。
 インドに行くことになるのは、神津島行きの約十か月後のこと。
 約2週間にわたる波乱万丈な旅でした。
 これね、当時旅行に携行して毎日書いていた日記帳があるはずなんですけど、本の山に埋もれていて発掘ができません。いっぱい撮った写真(もちろん当時はフィルムカメラ)も行方不明。
 当時の記憶をたどりながら、不確かな描写しかできませんので悪しからず。
 つづきは次回以降に書きますので、お許しください。

 では、また。

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