組織の阻害要因とならない会計の在り方
1.会計はイノベーションの阻害要因か?
前回のお話のなかで、
NPO法人グリーンバレーの大南理事長のキャッチコピーは、
「やったらええんちゃう」(Just do it!)
大小多くの個別プロジェクトが進んで民間主導で街づくりがされている!
人口の少ない地域ほど、多様性を阻害する多くのことをしている。
「話し合い」「一本化」「中期計画」「参入障壁」「共同作業」「地域共同体」「官主導」「全員参加」「総括・分析」
それらを減らしただけで(余計なことをしなければ)、基本的に多様性は広がってい行く(宇宙が膨張するように!)
という話がありました。
で、考えてみたのですが、このうち「中期計画」「総括・分析」などは会計と深く関係するところもあります。ということは会計は多様性、イノベーションの阻害要因なのでしょうか?
2.阻害要因とならないための会計の在り方
この辺り、答えはこうだ!のようなことは言えないのですが、会計が及ぼす問題点については以下のような文献でも触れられています。
Messner M. The limits of accountability. Accounting, Organizations and Society 2009;34(8):918-38.
https://www.sciencedirect.com/science/article/pii/S0361368209000634
McKernan J. F. The aporia of accountability. Critical Perspectives on Accounting 2011; this issue.
Roberts J. The possibilities of accountability. Accounting, Organizations and Society 1991;16(4):355-68.
Vassili Joannides, Accounterability and the problematics of accountability ,Critical Perspectives on Accounting, Volume 23, Issue 3, April 2012, Pages 244-257
*精読したのはMessner(2009)しかないので、たしかなことはまだ言えないのですが、会計、つまりアカウンタビリティ(説明責任)を求めることが組織に働く人にとっての阻害要因になりうる(説明が逐一求められるようなことに対する負担感が生じうる)、ということです。
では、現時点で私なりに考えた阻害要因にならないための会計の在り方を考えてみましょう。
・何のためにアカウンタビリティを求めているのか?を明確に
アカウンタビリティを求めること自体は悪ではないと思います。問題は形式的なことを求めすぎる!ということにあります。「何のために」ということは、今行っている事業、プロジェクトについてより良い方向に行くための方策を検討することが重要なのであって、やたらめったら説明を求めて、当事者を攻めて萎縮させてしまう、ということだと思います。またこうした改善案が出せないような形式的な報告なのであれば、それは意味がないので廃止したほうがいいでしょう。
・コンプライアンスを重視し過ぎていないか?
いわゆるover-compliance問題です。過剰な法令順守への対応のためにかえって事務仕事が多くなってしまう問題です。もちろん、コンプライアンスは大事です。ですが、時に過剰にコンプライアンスを求め過ぎることで組織を疲弊させていないか、という点は気を付ける必要があります。
少し話は横道にそれますが、以下の記事と、この記事の中で紹介された論文は、厳しい指摘をした監査人が監査市場において低い評価を受けている、ということを実証した研究です。
・数値に拘り過ぎない
これも大事な点だと思います。結果をすぐに求めすぎることで組織が委縮してしまいます。もちろん、過剰か赤字はウォッチしていく必要があります。
このように色々と書きましたが、結局のところ、組織における問いが重要なのだと思います。すなわち、
・報告を通じて得たいものは何か?
ということですね。利害関係者への単なる説明ということではなく、ともに創り上げていくという発想に転換すれば求められていること、やるべき形式もおのずと見えてくるのではないでしょうか?
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