軸を作る:メンタライジング力:自己×他者を意識する力

フォナギーのメンタライジングというのはやはり非常に難しい、言語化しにくいものですので、もう一度確認します。

今日は少しメモ書き程度になるとは思います。

メンタライゼーション、メンタライジングという考え方はいわゆる精神分析の世界で用いられているのですが、説明が非常に難しい。

なぜか?

それはある種の体験に根差したもの、さらには心の部分を詳細に投影しようとする試みだからに他ならないでしょう。

いわば、単純化することを避け、徹底した解析を行っている。それが精神分析の特徴でもあります(私はそう捉えています)。

心理学においてメンタライゼーション(英: mentalization)とは、顕在化している行動の動因として、自身や他者の心の状態を想像して想定する能力を指す[1]。メンタライゼーションとは想像する能力に下支えされた心理活動の形態の一つとして捉えることができ、この能力によって、人々は、志向的な心理状態である欲求、願望、感覚、信念、目標、目的、理由などという枠組みで、人間の行動を知覚し、理解することが可能になる[2][3]。時として「誤解を理解すること」とも説明される。またDavid Wallinが述べたところによると、「考えについて考えること」[4] とも言える。メンタライゼーションは、自動的にも能動的にも起きることがある。メンタライゼーションする能力、つまりメンタライジング能力は、強烈な情動下においては制限される。

メンタライジングとは、「世界に関する体験を仲介する心というものがあるとうことを悟るプロセス」

心の存在について触れています。

自己認識との違いは何でしょうか?

こちらの本をもとに考えていきましょう。

ウォーリン博士は、メンタライジング活動を「フォナギーは反省機能のための適用能力といったものに根ざしている」と捉え、次のように述べています。

反省機能があれば、私たちは、自分自身や他者を心理的な深みを持つ存在として見ることができます。それにより私たちは、自らの体験を表面的な行動のみならずその根底にある心理状態(すなわち、行動を理解可能なものにしたり、行動に意味を与えたりする願望、感情、信念)に基づいて理解し応答することが出来るのです。それだけに、反省機能は、洞察力や共感力と密接に関係してます(同書 66頁)。

つまり、重要なのは反省機能であると。

そして反省機能は、洞察力、共感力と密接に関係しているとしています。

単純化すると・・・

洞察力=洞察力∔共感力

でしょうか?

そして強いメンタライジング力があると言えるかどうかについて、以下の要素をあげました(反省機能スケール)。

①心理状態というものの本質に気づいていること。

②行動の根底にある心理状態を詳しく識別しようと心掛けていること。

③心理状態の「発達的」様相を認識していること。

*昨日感じたことは、今日、あるいは明日感じる事とは異なっているかもしれないということ。

④面接者に関連する心理状態に気づいていること。

メタ認知との違いは何でしょうか?

メタ認知は「客観的な自己」「もうひとりの自分」などと形容されるように、現在進行中の自分の思考や行動そのものを対象化して認識することにより、自分自身の認知行動を把握することができる能力である。メタ認知的知識とは、自分自身の状態を判断するための知識を指す。

メタ認知があくまでも自己に限定されているのに対して、メンタライジングでは他者の存在が意識されている点が異なると言えるでしょう。

自己×他者、を意識する。それがメンタライジングの神髄といえるかもしれません。

二次方程式が一次方程式よりも複雑なように掛け合わせる要素が増えれば、複雑さは増していきます。

その要素を読み解きながら考えていく、というところがこのメンタライジングの醍醐味なのかもしれませんね。



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