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雇用維持政策について考える

コロナ渦において、経済はますます厳しい状況になってきました。

1.日本の雇用維持政策

まず心配されるのは雇用ですね。日本の雇用維持政策を見てみましょう。

雇用調整助成金

こちらで最大のポイントは、

解雇等を行わない場合は9/10(中小)、3/4(大企業)と定義されていることでしょう。

なお中小企業の定義は、以下のようになっていまして、これに当てはまらない場合は、全て大企業になります。

製造業・その他の業種:従業員300人以下または資本金3億円以下
卸売業:従業員100人以下または資本金1億円以下
小売業:従業員50人以下または資本金5,000万円以下
サービス業:従業員100人以下または資本金5,000万円以下

大企業においても一時帰休を申請するケースが増えています。

日本における政策としてはこうした雇用維持政策になります。海外はどうなんでしょうか?以下の記事を参照してみましょう。


2. ヨーロッパの雇用維持政策

新型コロナウイルスが、世界経済に深刻なダメージを与えている。経済活動がストップする中、労働者階級の人々は最も職を失うリスクにさらされている。
ヨーロッパでは、デンマーク、オランダ、イギリス政府が自宅にとどまって何もしていない労働者に、その家計を救うべく報酬を支払うことにした。
デンマークでは、労働者を解雇しない限り、企業に対し、政府が労働者の給料の最大90%を払うと約束している。

こちらの記事にはもっと多くの国の話が乗っていますね。


3.アメリカの雇用維持政策

米国議会が第3弾の新型コロナウイルス対策法として3月27日に成立させた「コロナウイルス支援・救済・経済安全保障(CARES:Coronavirus Aid, Relief, and Economic Security)法」の中で3,500億ドルがあてられ、中小企業支援の柱とされたのが、「給与保障プログラム(PPP)」である。これは、従業員500人以下の企業が雇用を維持すれば、給与や賃料、光熱費など約2.5か月分、最大1,000万ドル(約11億円)までは政府が肩代わりするという仕組みである。


注目点はここですね。

表面的には融資の形をとっているが、雇用を維持すれば返却する必要がない規定が含まれていることから、事実上は補助金の性格が強いといえる。

2週間で枯渇したそう。

それにしてもかなり早い支援。この辺りのスピード感はさすがです。

隣の芝は青く見えるということかもしれませんけど。


3. 手続きが煩雑な日本の制度?

手続きが煩雑な日本の制度の問題点が指摘されています。

頑張ってくれるそうですが・・・。

現場はパンクしてそうですね。


木内 登英さんの記事でも指摘されていることを引用します。

この雇用調整助成金には使い難さも多く指摘されている。労働者がこの制度の適用を望んでも、企業がそれを申請しなければ適用されない。あくまでも、企業が支給した休業手当に対する事後的な助成なのである。
さらに、詳細な休業計画が要求されるなど、手続きが非常に煩雑であるうえ、オンラインでの申請は認められていない。そのため、日本経済新聞(2020年4月20日付)によると、厚生労働省が把握する最新の4月10日時点で、申請件数は約460件にとどまるという。さらに、事務処理スピードの制約などから、その時点で支給が決定されたのはわずか3件だという。


そしてロールケーキも潰れるわけですね・・・。

手続きが煩雑になる、複雑になる理由には、簡素化のプロセスをこれまで検討してこなかったことがあります。

紙ベースでの申請が基本ですし、また審査に当たって、公平性やデュープロセス(手続きの順序)が重視されます。

その背景には、正当な理由なく給付を受けようとしてる人に対する制限をかける、という意図もあります。

なので、事細かい書類を要求している訳です。

ただ、この事態にいたって、そうしたエラー(誤り)もあるということを認識しながらもスピード感を求めたいころです。

一方で、私たちの世間として、誤給付をした際に物凄いバッシングをするのではないでしょうか?

今の10万円給付をめぐってのやり取り。政治家だけではなく、マスコミ、芸能人の無責任なやり取りをみていると何か空しくなります。

「いま、急がなければならないことは何か」「どのようにすれば手続きが簡略化されるか」

そうした全体像をみて、制度設計を行う必要があります。

プロセスが複雑化するのは、責任を分散化させている、ためでもありますが・・・。今は誰かが責任を取ってやるべき時!ですね。杉浦千畝さんを見倣ってほしい・・・。

その後、千畝が1ヶ月間で発給したヴィザは2,139通になります。,139通になります。一人でも多くの命を救うために、入国ビザを必要としない南米キュラソー行きの『命のビザ』を少しの時間も惜しんで書き続けた千畝は、領事館を退去した後もホテルで渡航許可証を書きました。いよいよ出国という最後の日、駅にまで押し掛けてきたユダヤ人たちにも発車間際まで渡航許可証を書き続けた千畝。最後の渡航許可証は車窓から手渡したのでした。






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