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簿記、会計の歴史は、人、組織、国、社会の記録

こちらの講座を行う、ということもあり、資料をおおよそ整理しましたので、講座の内容、というよりは、資料を整理してみて感じたことをお話ししようと思います。

改めて、まとめてみて思ったことは、

面白いですよ。簿記、会計の歴史は。

ということです。

面白いだけではなく重要だ、と思いました。

なぜ重要なのか?

それは簿記、会計の歴史は、人、組織、国、社会の記録でもあるからです。

時代の変遷とともに形を変えていった複式簿記、会計の変化を追うことで、そのことが分かってきます。

ただし、歴史的な視点で複式簿記、会計をみる場合、どこの視点で見るかが重要になってきます。

一つは、複式簿記の変化や当時の記録されていることを丹念に追っていく、というアプローチでしょう。

これは王道ともいえるアプローチです。

記録は金銭のやり取りです。そこから得られる情報から様々な実態がわかるでしょう。

また複式簿記の記帳技術の変化、を追うのも面白いです。

というのもパチョーリが執筆したスンマは、様々な模倣的な教科書が各国で執筆され、アレンジされるやり方が盛り込まれています。

こうした変化を追ってみると多くの発見があります。

もう一つは、大きな時代の変化と合わせて、簿記、会計の歴史の変化をみていくことでしょう。

私はどちらかといえば、後者のアプローチを好みます。

というのも、世界経済の大きな流れの中に、複式簿記、会計というシステムを置いた場合にどうったことが考えられるのか。何が見えてくるのか。

そこに関心があるからです。

私のメインの研究は、現代会計ですが、時に、一歩引いて、歴史を俯瞰して、会計のことを考えていく。そうした時間も必要なのではないでしょうか。

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私なりに15世紀から20世紀初頭(世界大戦前)を俯瞰してみた図です。

大きな流れとしては、二つの流れを意識したいと思います。

一つは大航海時代、です。新大陸発見以降、大量の奴隷がアメリカにわたりました。いわゆる大西洋奴隷貿易、三角貿易の開始、です。

アフリカの歴史。

それはヨーロッパ、欧米諸国から語られるものではなく、アフリカから見た歴史をみていく必要があります。

例えば、こちら。

ヨーロッパの歴史書は、どうも暗部であるアフリカの歴史に正面から触れているものが少ないような気がします(勘違いだったらすいません)

どれだけ多くのアフリカの人たちが大西洋三角貿易でアメリカに渡ったか。まさに欧米の暗部です。

貿易でしたから、複式簿記も絡んでいたわけです。ちなみに、しっかりと海上保険の仕組みも入ってました。

新大陸アメリカの開拓のために、約3世紀に及ぶ奴隷貿易で大西洋を渡ったアフリカ原住民は1,500万人以上とも言われています。

そもそも新大陸発見、バスコダガマによる喜望峰経由でのインド航路発見など、航海技術の飛躍的な進歩の陰には、オスマン帝国の拡大にあります。

オスマン帝国が邪魔で、インドで香辛料を自由に購入できず(正確には、ヴェネチィア共和国経由の高い値段で買わされる)、いらだちを隠せなかったヨーロッパ諸国。

オスマン帝国がヨーロッパ諸国を脅かすほど勢力を拡大しなければ、航海技術は飛躍的に進歩しなかった可能性が高い、といえます。

見逃しがちなオスマン帝国の歴史。

興味のある人はぜひこちらを。読みやすくお勧めです。

一つの時代にスポットを当てるとすると、コンスタンティノープル陥落を書いたこちらも面白いです。

東ローマ(ビザンチン)帝国が1453年にコンスタンティノープル陥落に伴い、消滅し、バルカン半島を掌握されたことが、その後の民族紛争に繋がっていく・・・・と考えると、恐ろしい歴史的な転換点です。

話が逸れました。

このコンスタンティノープル陥落に伴い、多くの知識人がイタリアに渡り、知的水準を向上させることになる一方で、北イタリアの共和国家(ヴェネチィア、ジェノヴァは否応なく)がオスマン帝国と対峙することになります。それがアラビア数字の導入を促し、当時の複式簿記の仕組みに内蔵されるとは、なんとも驚きの話です。

北イタリアの共和国家はオスマン帝国を打ち負かすような力はなかったので、時に対立することもありながらも、のらりくらりと上手く付き合うことを選択します。他のヨーロッパ諸国の手前、表向きは敵対しながら、オスマン帝国との貿易も行いました。

一方で、他のヨーロッパ諸国はこうした北イタリアの共和国家のことを苦々しく思いながらも、地中海をオスマン帝国に掌握されている以上、安全な航海ルートを自力で見つけ、打開策を見つけようとします。それが新大陸発見、喜望峰経由のインド航路の開拓に繋がっていくわけです。

つまり、オスマン帝国がヨーロッパ社会を脅かしたことが、新大陸発見に繋がり、大西洋三角貿易へと移行していったわけです。

*なお、大航海時代、北イタリアの商人たちの間では複式簿記による記帳技術は普及していたと推測され、オランダ、ドイツなどの諸国で普及していったことが分かっていますが、当時の主役ともいうべき、スペイン、ポルトガルでは、普及していなかったと考えられます。

大航海時代の一連の事業は、採算度外視で行っていたところもありました。スペインは植民地を広げ過ぎた影響で何度も国家破たんをしています。どうもスペイン人は複式簿記、細かい計算が不得意なのかもしれません。

この辺りは、大航海時代のスペイン、ポルトガルの資料なども確認してみたいところです。


そして複式簿記を飛躍的に発展させたのは産業革命、そして株式会社の発展ですね。

これが決定的な影響を与えたというべきでしょう。

複式簿記には、当時から、組織、事業の財産や、第三者に自信の財務状態を保障するための記録としても用いられていたようですが、それがより公的な形へと変貌していくことになりました。

これをもって、会計の誕生、といえるかもしれません。

つまり、Account for(説明する)、アカウンタビリティ(説明責任)の機能が明文化された瞬間といえます。

会計の誕生ととともに生まれたのは、会計、財務報告の保証を付与するための勅許(公認)会計士の誕生です。

複式簿記に基づいて作成された財務報告に信頼性を付与する。そのプロセスが追加されたことが会計が社会的なインフラとして広く認知されていくきっかけになった、といえるかもしれません。

いや、歴史はおもしろいだけでなく、今、私が研究している財務会計の分野にも示唆するものが多くあります。

歴史は面白い。おススメです。

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