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前向きに、よりよい社会を構築していくためのパブリック・アカウンタビリティ

パブリック・アカウンタビリティとはどういった場合に使われる用語でしょうか?

直訳すれば「公的な説明責任」となるわけですが、それでは捉え切れていないでしょう。

パブリック・アカウンタビリティに関するこちらのハンドブックでは、

「一般的に言って、パブリック・アカウンタビリティとは、公的なドメイン(領域)におけるアカウンタビリティのことであろう。」(7頁)

と定義されています。

ただし、公的なドメイン(領域)が、公的対象なのか、公的機関か、それとも両方なのか?

ケースバイケースでしょう。

環境問題についてのパブリック・アカウンタビリティを企業に求める場合、企業の出資者(ステークホルダー)だけではなく、より広範なステークホルダーも含んだアカウンタビリティが求められる、ということになります。

企業のIR情報の一環として開示される環境、CSR、統合報告書などは、パブリック・アカウンタビリティの一種としてとらえられるかもしれません。

そして、政治的な文脈でも使われるアカウンタビリティが使われます。

「政治的なアカウンタビリティがパブリック・アカウンタビリティの一種かどうか?」についてはもう少し整理が必要かもしれません。

2020年にもっともアカウンタビリティという用語が国内で使われたのはこちらの問題でしょう。

持続化給付金を引き受けたサービスデザイン推進協議会が769億円のうち749億円を電通等に再委託していた、という問題です。

いわゆる「中抜きだったのではないか?」という疑惑が出された件です。

これについて、委託先として決定した経済産業省、そして電通への再委託を行ったサービスデザイン推進協議会、さらに受託した電通等のアカウンタビリティが求められました。

公的な機関として、公的なお金(税金)を取り扱う上でのアカウンタビリティ、これもパブリック・アカウンタビリティといえるかもしれません。

ここまで書いてきてなんですが、そもそもアカウンタビリティとは何でしょうか?

堀田先生が言及されている「アカウンタビリティはカメレオンのように変化する」にすべてが象徴されているかもしれません。

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会計研究者にアカウンタビリティの話をすれば、財務報告に基づくアカウンタビリティ、政治学者であれば、公的なアカウンタビリティ、経営学者であれば、経営者の責任(アカウンタビリティ)と思うかべるものが変わってきそうです。

パブリック・アカウンタビリティという用語で思い浮かべるのもやはり色々なのかもしれません。

抽象概念+抽象概念の組み合わせ、ですね。

抽象概念の強みは、色々なことが想起されるからこその拡がりであり、強みもあります。

少しシンプルに考えれば、アカウンタビリティとは結局のところ、誰がどのような責任を担っているかを明確にする概念であり、アカウンタビリティを果たすということを求められた責務を忠実に行っていく行為そのものです。

単に責任を果たしたからいいでしょう!

ではなく、より前向きに、よりよい社会を構築していくために誰がどんな責任を引き受けて、何をしていけばよいのか?

そのことを考えていくための概念といえるでしょう。

パブリック・アカウンタビリティという抽象概念は、SDGs、ESGなどの公的領域での企業のアカウンタビリティが求められている中、さらには公的機関としてのアカウンタビリティがより明確に求められていく中、誰がどのようなアカウンタビリティを担っているのか?

そのことを考えて、よりよい社会を構築していく。

誰かがやってくれる。ではなく、各人が前向きに責務を引き受ける。

そのためにパブリック・アカウンタビリティの考え方は欠かせないものかもしれません。

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