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振り返り(5)自分の心に潜る

週末ということで、ゆったりと振り返りたいと思います。

一週目は、自分のことを見つめ

ニ週目は、自己の歪みと社会との繋がりを感じることの重要性を認識し、

三週目はなんでしょう?

一言で言えば、「心に潜る」感覚を得た、

かもしれません。

瞑想を始めたこともあり、感じることは、自分の心に潜る、という経験をしたということかな、と思います。

自分の心に潜る、というのは別に孤立するというわけでないです。

自分の心の状況を常に観察する、状態をみる、という事が、相手とのより良い関係性を構築する上で大事である、ということを実感しました。

心とは何でしょうか?

心の境界はどこになるのでしょう。心が物理的作用だとすると,物理的作用は脳内部にとどまらず,脊髄,末梢神経,感覚運動器官へ,さらに皮膚からそれと接する環境へとつながっています。どこで区切ればよいのでしょう。脳科学者である大谷悟さんは,ためらいながらもこのように言います。「(こころという感じは)からだと環境にまたがって発生・存在している」(大谷,2008, p.226)。心は身体―環境システムの別称である。これをあなたの質問への回答としておきましょう。

脳が心に一番大きな作用を及ぼしていることは科学的にはそうですが、むしろ、全体の身体の状態が全て、私たちの心を形成しているのだと考えています。

私たちは、心の在り方をどのように受け留めればよいのでしょうか?

解釈すればよいのでしょうか?

最終的に答えがある訳ではありません。

ですが、一言で言えば、それを探究(探求)し続けていくのが人生なのかもしれません。

悟りを得られればいいんですけど、煩悩の多い私は多分無理でしょう笑

「七つの大罪」

といえば、今は漫画・アニメの方が出てきてしまいますが、

そもそも七つの大罪とは・・・ キリスト教において罪の根源とされる7種類の悪しき感情、欲望などを指す語ですね。 一般的には「傲慢」、「嫉妬」、「憤怒」、「怠惰」、「強欲」、「暴食」、「色欲」の七種が数えられる。

仏教でいうところの、【十善戒】もありますね。不殺生 (殺さない) 不偸盗 (盗まない) 不邪淫 (邪淫しない) 不妄語 (嘘をつかない) 不綺語 (お世辞をいわない)不悪口 (悪口をいわない ) 不両舌 (二枚舌をつかわない)不慳貪 (欲張らない)不瞋恚 (怒らない) 不邪見 (不正な考えをしない)

自分の業を受け止めて前に進むということですね。

人間は業が深いから、愛、思い遣りを忘れてはならないわけです。

私なりの解釈ですが、宗教は人の心の学問だな、と感じます。

業と愛、この二つを両立させながら、最適な在り方を探していくのかなーと思った今週でした笑






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