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活版印刷革命と複式簿記の教科書「スンマ」の出版

会計はコミュニケーション・ツールです。ただし、ただのコミュニケーションツールではありません。定量的な情報、つまり貨幣情報が含まれています。

この貨幣情報を伝えるコミュニケーションツールとしての発展に着目する必要があります。

ですから、実は私は非財務情報に対しては懐疑論者です。

つまり、非財務情報は、貨幣情報あって初めてリッチ(豊富)な情報になるのであって、定性的な文字情報だけでは成り立たないと思っています。

このことは最近、ハマっている簿記の歴史からも感じます。

もちろん、非財務情報の中には、貨幣情報も含まれるケースもあります。非財務情報の中での貨幣情報を、現在の企業会計のシステムのように法則性のある形で提供できるか、が大事でしょう。とはこの辺りはまた考えていくとして、歴史の話に移りましょう。

*ここから書くことは、まだ調べ途中なので、引用などは控えてください。

活版印刷革命と複式簿記の教科書「スンマ」の出版

複式簿記が誕生したのは13~15世紀ごろ。

ルカ・パチョーリによりスンマが出版されたのが、1497年。

ここで前置きしておかなければならないのは印刷機の発明です。

グーテンベルクによる活版印刷が誕生したのが15世紀中ごろ、これにより大幅に安い値段で本を手にすることができるようになったわけです。

電子書籍以上の革命だと思います。なぜならば、文字という最強のコミュニケーションツールを手に入れた人類。それをさらに安価に伝える手段としての活版印刷の誕生。

これなくして複式簿記の方式が広まることはなかったわけです。

スンマはヴェネツィア共和国で出版されました。なぜ、ヴェネツィアで?

それは当時、ヴェネツィアは出版の自由が許されていたから、なんですね。

ちなみに、ヴェネチア共和国でよく売れていたのは、キケロの本だったとか。やはりギリシャ哲学、神話本はよく売れていたのではないかと思います。コンスタンティノープルが落城した1453年以降、北イタリアには、大量のギリシャの書籍が持ち込まれたといいます。それが出版されていくのは当時の知的層からすれば、楽しみだったのは想像に難くありません。

多分、あつ森以上のインパクト!があったのではないでしょうか?

ちなみにヴェネチア共和国は、当時、カトリック教会から敵視されていたルターの本(プロテスタントの本)の出版も認めていたようなので、かなり出版の自由が幅広く認められたことがうかがえます。

出版の自由は言論の自由とセットでもあります。

二つの自由が、北イタリアの知識層のレベルを上げ、そして複式簿記を生んだ、という仮説もありうるかもしれません。

この自由が保障されていたことこそが、複式簿記の誕生の最大の立役者といえるかもしれません。

なお、スンマは、アラビア数字で説明がされていました。当時のカトリック教会はアラビア数字の使用を禁止していましたので、アラビア数字が使った説明が行われたスンマを出版することは憚られたことは間違いないでしょう。

ちなみにスンマがどれぐらい売れたのか?ということには諸説あるようです。ロングセラーだったという説と、そうでもなかったという説まで。

アラビア数字が使われていたスンマを読むことが憚られる国もあったかもしれませんので、国によって伝播のスピードはマチマチだった可能性は高いといえます。特にカトリック教会の勢力が強かったところでは複式簿記の伝播が遅かった可能性もあります。

その典型的な例はスペインかもしれません。スペイン王国は、カトリックを信奉しており、神聖ローマ帝国の皇帝を自国から輩出していました。カール大帝とその弟フェルナンドです。ルターが唱えるプロテスタントを支持する諸国と激しい戦いを繰り広げたのはカール大帝でしたので、複式簿記を率先して取り入れる、ということはしなかったでしょう。

結果として植民地支配を広げすぎ、財政危機を何度も迎えることになります。カール大帝の息子フェリペ2世時に1557年に国家の破産宣告をしており、その後、何度も行います。また、新大陸においても採算度外視のことをやっていたようです。ただ、この辺りは国家の簿記システムと商人間とでは違いありますので、慎重に検討する必要がありそうです。

そもそも共和国ではなく、王家が治めている国では言論は統制されていたでしょうから、公に複式簿記の本、スンマを読むことは出来なかったかもしれません。

なお、フェリペ2世は、メアリー1世(イングランド、アイルランド女王)と結婚しています。メアリー1世はカトリックへの回帰を目指し、プロテスタントの弾圧を行いました。それゆえ、ブラディ・メアリーともいわれています。当時、スペイン、イギリス連合という可能性もあったわけです。メアリー一世は早世しますが、その後継が妹であるエルザべス女王です。

エリザベス女王は、反スペイン政策に舵を切り、1588年無敵艦隊 VSイギリス海軍の戦い「アルマダの海戦」が繰り広げられます。なんだか、大河ドラマ風だなぁ、と思ったりします。

話が逸れました。

スンマがその歴史に名を刻む最初の複式簿記の教科書であり、それが印刷されヨーロッパに普及し、それを模倣した教科書が多く出たことを考えれば、同書が果たした貢献は大きかったとでしょう。なお、ルカ・パチョーリは当時始まったばかりの著作権の権利を取得しており、それなりのお金を手にしたようです。この辺りはもう少し調べてみたいですね。

複式簿記は貨幣情報を記録するためであり、その記録を検証可能で、効率的な取引、経営を行う必要性から、考案されたものといえるでしょう。

日本にも大福帳があった!のは事実ですが、残念ながらこれは世界標準にはなりませんでした。明治初期から中期においては、旧来の簿記技術である大福帳が使われていたようですが、福澤諭吉の帳合之法、つまり複式簿記を紹介した本が出版されるなどし、徐々に、西洋式の簿記が普及するにいたあったようです(この辺りはまだ調べ中です)。

日本の簿記記録の技術も相当なものであったようですが、惜しむらくは、この技術が商人間の口伝で、教科書が書かれなかったのが悔やまれます(多分、そうですよね。少なくとも一般に知られるような大福帳の教科書はなかったと思います)。ルカ・パチョーリはそうした意味ですごいと思っています。

複式簿記は当時、ヴェネツィアを始めとした北イタリアの商人の間で広まっていた帳簿技術をまとめたものです。これをわかりやすい形でまとめた、ことが彼の最大の功績といえそうです。

同じようなことを日本の江戸時代の商人にいれば、少なくとも日本の簿記研究者はもっと歴史研究がしやすかっただろうに・・・と思わなくもないです笑


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