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頭を使う習慣が大事

考えることが何よりも大事

最近そう思います。

考える事とは?

少し分かり易く言うと頭を使う事、ですね。

頭は使えば使うほど磨かれていきます。

そして色々なことが分かるようになります。

逆もまた真なり。

使わなければメキメキ衰えていきます。

どの方面に頭を鍛えていくのか?

得意不得意はあります。

全てを出来る人はいないでしょう。

ですが、自分の得意なこと、好きなことに対して取り組んでいく。

そして多くのことを知っていく。

それについて考えていく。

そのことでまた豊かに生きていくことができるんではないかな、と思います。

頭を使うのは習慣ともいえます。

毎日毎日使っていないと考える力は衰えてしまいます。

社会人の中で、いうままに働いていて、その結果として考える力を失っている人がいらっしゃいます。

会社にとってはよいのかもしれませんが、本人にとってはどうなんでしょうか?

老後、豊かに生きるため、もしくは何かあった時に新しい道を探せるようになるため。

会社、組織にとって都合の良い人間ではなく、自分自身の判断で物事を考え行動できるような人間を目指す。

そのことが豊かに生きるということに繋がるんではないでしょうか?

恐ろしいことに会社、組織は、時に従順で、素直で、「考えない」人を求めている側面があります。

またそうした人が面接の印象もよく(従順で素直だから)、採用されやすい傾向にもあるように思います(これは私見ですが、小理屈をいう人は嫌われる、ということです)。

そうした人は会社、組織に入るとどうなるんでしょうか?

活躍はしますし、重宝されると思います。

そのまま会社に雇ってもらえればよいのですが、歳をとった時、考える力が求められた時に、会社から解雇されてしまう(リストラされる)可能性もあります。

なぜならば、「考える力」がない人は会社、組織において昇格させることはできないからです。となるとどこかで使い捨てられてしまうことになります。

昔、体育会出身の学生は、元気がある、素直、体力がある、ということで就職に有利だ、と言われていた時代がありました。

今も優遇している企業もあるかもしれません。

ですが・・・聞くところによると、そうした学生が増えてしまった結果、使えない人材が多くなってしまい、採用を控えるようになったという話も聞いています。

会社、組織は矛盾しています。

素直でいうことを聞く、働いてくれる人材を求めている一方で、物事を自分で考えて、判断する力を持っている人も求めています。

理想的には、これらを併せ持つのがよいのですが、自分で判断する力を持っている人は、色々と理屈をいうので嫌われたりします。

日本で大学院の修士の資格を持っている人が少ないのもこうした理由がありますね(この辺りは新卒採用重視の日本の採用制度に問題がある、ともいえますが)。

ただし、時代は変わりつつある、そう思います。

修士卒でも就職に不利になるというケースは少なくなりましたし(特に理系は逆に有利になることが多い、文系も不利にはなっていない)、より専門的な知識を身につけることを考えると大学院までいき、専門的な知識、技能、思考力を身につけた方が、その後のキャリアに有利ともいえます。

学生さんたちは自分たちの親の世代とは状況が違う、ということを十分に認識したうえで今の就職事情、キャリア状況がどうなのかを考えて行動することをお勧めします。

色々考えても確実に保障されている道、職業はどこにもありません。

重要なのは、自分がどう生きたいのか? どういうことで社会に貢献できる人材になっていきたいのか?

時に嫌われても、自分で考えて、判断できる力がある。

そのことが悔いのない人生を生きることに繋がるのではないでしょうか?


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