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喋らない息子と過ごす日々。

「航、三歳児検診に引っかかっちゃった……。再検査だって」

 ため息をつきながら妻が言う。

 妻はコンロの前でパスタのお湯が湧くのを待ちつつ、ゴソゴソとツナ缶を探し始めた。私たち夫婦はだいたいいつも二人で台所に立つ。今日の夕食は「ツナとトマトのカペリーニ」と、スーパーで買った出来合いの「唐揚げ」とカット野菜の「サラダ」である。いつも何となく冷蔵庫にあるものとその時の気分でメニューは決まる。

 私は唐揚げをグリルで温め直すべく、耐熱皿に並べ直しながら「やっぱり……としか言いようがないよねぇ……」と答えたのだった。

 三歳になったばかりの息子、航はいわゆる「言葉が遅い子」である。

 一般的に幼児は1歳半~2歳くらいで「おみず ちょうだい」「ママ だっこ」など「二語文」と呼ばれる言葉を使うようになる。しかし、航は二語文はおろか、喋れる単語が10個ほどしかなかった。バスを「バッ!」、猫を「にゃんにゃん」、麺類を「めんめん」といった具合である。興味があることは喋るが、それ以外はからきし、発話しない。
 妻のことは「まま」と呼ぶが、私のことも「まま」という始末である。区別が付いていないわけではなさそうだが一緒くたにされていた。

 喋れる単語が極端に少ないために、日常的な「食べたい」「遊んで欲しい」「やって欲しい」といった要求は、指差して「これ、これ」「うんー」で発される。冷蔵庫の前に立ち止まって、手を上げて「だっこ!!」と要求し、冷蔵庫を開けると「これ!(ジュース飲みたい)」と指さしてコミュニケーションが成り立つという日常を送っていた。

 とはいえ、まったく音を発さないわけではない。お気入りのYoutube動画で電車が出てくると「あぃがー」「いぇーがー」いった、日本語の単語ではない謎の音を発している。ただ、法則性はなく、同じ言葉を言っているようだけれど、回数が増すと母音が消えていたりする。

 二語文が出ず、極端に単語数も少ない……となると、三歳児検診では出来ない項目だらけだったようだ。

「視力検査はさ、検査士が『いぬ』『きりん』『くるま』『ちょうちょ』なんかのシルエットを『これはどれ?』と聞き、絵シートを指さして答えてもらうんだけど。ちゃんと視えている子は『わんわん』とか『ブーブー』って、単語は知らなくても答えてくれるじゃない。
 航に『同じはどれ?』と聞いても全然やってくれないんだよね……。あんまり、犬や蝶に興味を示さないじゃない? 適当に指差しててるのよ」
  
 妻はそう言いながらパスタを皿にによそう。

「聴力検査に至っては、検査士が少し離れて『いぬ』って小声でつぶやくんだけど。あの子、途中で興味なくなっちゃって私の手を引っ張って『帰る、別の部屋に行きたい……』ってやってたのよ」

 そして、ちゃんと視えているか、聞き取れるかは判断がつかなかったのであった……。

 問診では医師から「早めに分かって良かったじゃない。最近は『療育』が充実しているから。気落ちしないで。これからさ、頑張って話せるようになっていった方が良いよ」と伝えられたのだという。

「とはいえ、物事の理解はしているからさ。いつか堰を切ったように喋りだすと思うんだけど。ほら、アルベルト・アインシュタインだって未就学児の頃はろくすっぽ話さなかったみたいだし。大器晩成って言うじゃない」

 私はテーブルに付きながら希望的観測を話す。というか、そう思わないとやっていられない。

 先日の保育園の送り迎えの際、他の同学年の子どもたちから「あ、航くんのパパ来た。こんにちは。航くんのヘルメット? カッコいいね」と話しかけられ、「え!? 3歳児ってこんな喋るもんなのか……」と愕然としたことを思い出していた。

「のちのち、成功する人は過去を振り返って『喋らなかったこと』も美談のエピソードになるかもしれないけど。世の中には大成しない人のほうが多いんだから、参考にはならないでしょ。とにかく、大学病院で再検査になるから予約を取らないといけないみたい。検査は結構、時間がかかるみたいだし。あと、かかりつけ医にも見てもらって”診断”を貰ったほうがいいみたいよ。その診断を元に『療育』って発達支援のプログラムを受けれるみたい。どれも会社の休み取れるかしら? 私一人じゃ耐えられる自信ないから一緒に来て欲しいんだけど……」

 妻は「医師に高圧的に指導されるのが嫌い」と話していた。
 航が生まれて1か月後の検診でも体重を量り、産後1か月後の適正体重の4000gに届いていなかったがゆえに医師に「あと、ちょっとですね」と指摘されたことを「あんな言い方しなくてもよくない!? こっちは昼も夜も寝れなくてボロボロになりながら授乳してオムツ変えて育児してるんだし!!」と憤っていた。
 頑張って子育てしていることを否定されたくない、というわけだ。

「そうだね。都合を合わせて一緒に行くようにするよ。航の様子も、お医者さんからの反応も気になるし……ね」

 ふと航に目線を移す。
 当の航は夫婦間のそんな会話は全く意に介さず「ん?」とツナとトマトのカペリーニを頬張っていた。その目はさながら「え? なんか悪いことしましたか?」と言っているかのように私には映った。


「え、お子さん全然喋らないんだ……。子どもは千差万別って言うけどさ。いやぁ、子育ては大変だねぇ。僕は何年も前に終わっちゃって今は大分手がかからないけど」

 一回り上の上司に我が家の事情を話し、「検査のために通院が増えるので仕事量をセーブさせて欲しい」と伝えていた。
 会社では1on1と呼ばれる面談が推奨されてる。名目上は「部下が抱えている悩みや将来的なビジョン等を理解し、対話を繰り返すことで問題解決や気づきによる部下の成長をサポートする」と設定されているが、内実は単なる「日々の業務進捗確認を報告する場」になっていた。

「でもさ。なんで喋らないんだろうねぇ……。スマホで動画見せたりしてる?」

「僕の携帯を『欲しい』って言って、自分でアプリ起動してYoutubeの電車動画をよく見てますよ。デジタルネティティブな世代ですからね。1歳くらいから教えなくても画面をスワイプして勝手にガンガン見てますよ」
 
 航が小さいながらもiPhoneを使いこなす様子を見ると「AppleのUIUX」は凄いんだなぁと思わざるを得ない。当の航はよく自宅のソファーに寝っ転がって短い足を組んで上目遣いで動画を見ていたりする。その様子が何やら小憎たらしく思えてしまう。

「やっぱり。喋らない理由ってそれじゃないかなぁ!? スマホ動画ってあんまり脳の発達にはよくないみたいだよ? そっちに刺激が行っちゃってるんじゃ。長い時間見てると目も悪くなるしね」

 育児場面で「スマホの悪影響」を語る記事は多い。私自身もそんな記事をよく目にする。でも、さして気にはしないようにしていた。

「そうは言っても僕ら夫婦も共働きですからね。息子を保育園に迎えに行って帰っったら、お風呂入れて着替えさせえて、夕食作って食べさせて……ってタスク山盛りじゃないですか。となると、いちいち面倒見てらんないですよ。スマホで大人しくなるなら、って感じです(笑)」

 私自身も、航には「携帯電話に依存しないで欲しい」とは思っている。
 でも、「30分だけね」と時間の感覚を伝えてスマホを渡しても航はちっとも理解はしてくれない。「約束したよね? 1回に見るのは30分だけって」と言ってスマホを取り上げると「楽しく見てたのになんで取り上げるんだ!?」と言わんばかりに大泣きをする……。
 そんなことが繰り返されていたので、スマホを取り上げるのは半ば諦めていた。

「あとは、規則正しい生活よ。朝はしっかり早起きして。三食しっかり食べて。日本人なら米を食べないと元気出ないからね。あとはしっかり睡眠を取ること。スキンシップも大事みたいだよ。子どもの発達障害が増えているらしいけどさ。幼少期にちゃんと触れ合ってないと、対人関係が不安的に依存的になる愛着障害って誤認されている例も多いそうだよ。だから、愛情持って接してあげるのが一番だよね。僕もそんなにガッツリ子育てしてたわけじゃないけど。愛情は伝わると思うな」

「規則正しい生活……。そうですよね。大事ですよね。アドバイスありがとうございます。頑張ります」

 私はそう答えて上司との1on1を終えた。

 航が喋らない理由について、私は発達障害の線を疑って関連する書籍を読み漁っていた。「スマホやTVの視聴時間が長いから言葉が遅い、発達障害になる」という説は一見すると有り得そうな気もしていたが……。専門家の書籍からはそうした記述は見当たらなかった。仮にスマホが悪いのであれば……幼い頃からTV番組を見て育ってきた我々親世代の方にもっと色々と悪影響が出ているからと思うからだ。
 愛着障害と言われると「それも可能性があるのかも……」と思った。各種の精神病理について啓蒙書を書いている岡田尊司さんは『発達障害と呼ばないで』(2012年幻冬舎新書刊)で、今発達障害として識別されている人の多くは本当は愛着障害で、子どものときに安定した形で愛情を注がれなかったのが原因だと主張している。
 しかし、「母親が家庭で子育てをした方がよい」という「三歳児神話」という極論につながって妻を追い詰めてしまうかも、と私は思っていた。ひきこもり研究を行う斎藤環さんと、元歴史学者の與那覇潤さんの『心を病んではいけないの?』(2020年 新潮選書刊)においては「愛着研究には一定のエビデンスがあるのですが、逆に言うとそれゆえにこそ、曲解されて三歳児神話の焼き直しになる恐れがある。正確には子どもに影響を与える『愛着』には母子関係に限定されないのでその解釈は誤り」と斎藤さんは話していた。

 妻は一度「私の育て方が悪いから航は喋らないのかなぁ……」とぼやいていた。なので、ことさらに「愛着が足りないからだ」と私が指摘するするのは滅相もないと思っていたのだ。

 上司の言葉を反芻しながら「世の中の他人からのアドバイスなんて所詮、外からの意見なだけで的はずれなことが多いもんだ……。それにしても好き勝手言ってくれるよな」と感じていた。


「特異的会話構音障害……ですね」

 医師は少し悩んで航に診断名を付けた。平屋の一角にある診断室で航を膝に抱きかかえながら私は医師の話を聞く。医師の机の上には「ハドロサウルスの卵」と書かれた石が置いてあった。子どもたちの興味を引くために置いてあるのだろう。
 航は私の膝の上で相変わらず、うんともすんとも言わない。風邪を引いたときも、予防接種のときも、医師の診断を受けるときはいつにも増して喋らないのが常だった。

「一旦の診断名は『特異的会話構音障害』ですが、このあたりはまだ何とも言えません。その時々の症状を視ながらになります。例えば、口の動きがうまくできなくて喋れないのであれば『運動性障害(麻痺性)構音障害』と診断できます。
 言葉自体は理解しているものの、何らかの要因で脳の機能が阻害されている場合には『表出性言語障害』と診断されます。
 要因が分かっている場合にはそんな診断名が付けられますね。
 航くんの場合、二語文が出なくて、喋れる単語数が少なくて、今のところ宇宙語みたいな言葉を喋る。この状態は『特異的会話構音障害』と言えると思います。包括的な感じって言えばいいでしょうか。宇宙語をジャルゴンって言うんだけどね。これが言葉になっていくといいんだけどねぇ」

 医師は一通り解説してくれた後、行政に提出するための診断書を書いてくれた。

 曲がりなりにも「障害」と診断名が付いたことで私は安堵したような、不安なような複雑な気持ちを抱えていた。「喋らない」という点では「発達障害」の一つに類するようだった。

 この診断書を持ち、行政の福祉課に行き面談を行う。同時並行で療育施設を選ぶ。療育とは子どもの困りごとがある発達に対して、個別に応じて支援プログラムを組んでくれるものである。言葉やコミュニケーションに焦点を当てたり、体の使い方や癇癪などに焦点を当てて発達を促してくれるそうだ。自分たちが子どもだった30年前には考えられない手厚さである。

 行政からの面談で療育の必要性が認められると「療育手帳」なるものが支給される。これがあることで、3歳児から就学するまでは都や区が支援をしてくれるので療育にかかる費用は無償とのことだった。

療育に通い始めれば週に1回程度通い、実際にさまざまなプログラムで「発達を促してくれる」という。既に3歳児検診からは1か月強が経っていた。

 行政との面談でも、見学に行った療育施設でも航は喋る素振りを見せない。黙って私の膝の上に乗り、私が一通り「こんな息子なんです……」と話すのを聞き。帰り際に職員さんには小さくボソッと「ばいばい」と手を振る。全く持ってコミュニケーションができない訳では無いだけに。「なぜ喋らないんだろう……」という疑念だけが残り続けるのであった。


 私は以前読んだ記事を思い出していた。

 それは配食サービスの会社で「人事評価を一切止めた」というもの。
 以前はこの会社でも個々人の営業成績に応じて評価がなされ、給与にも評価が紐づいていたという。

 なぜ評価をなくしたのか。

 さるコンペで大型案件の受注が決まったとき、社長が取引先に「なぜウチと契約してくれたんですか?」と尋ねたそうだ。「他社と比べて安かったから」「営業担当者の人柄が良かったから」「提案資料が良かったから」といった答えを期待していたが、取引先の社長はこう答えたのだという。

「実は御社が一番、規模も小さかったし、見積もりも高かった。正直取引する可能性は低かったんです。
 商談に伺ったとき、小雨が降っていて私がちょっと濡れてしまった。すると、内勤の女性社員さんがお茶を出してくれたときに『お使い下さい』と新品のタオルを手渡してくれて、帰りには『こちらをお持ち下さい』とビニール傘をを手渡してくれた。こんな細やかな心配りができる会社ならば『仕事を任せられる』と思ったんです」

 内勤の女性社員は地道に仕事をする人だったから、特に評価されているわけではなかったそうだ。
 それを聞いて「社員を幸せにしたい」という経営哲学を持つ配食サービス会社の社長は「この会社から評価を無くそう」と思い立ったという。「評価されやすい人」「評価されにくい人」の線引を会社側がわざわざ引く必要はない。「評価されたい」ということをモチベーションに頑張る社員も出てくるけれど、社員全員のモチベーションを上げるわけではない。みな精一杯取り組んでいるのだから、みな「A評価」というわけだ。そして、社内みんなが分け隔てなく同じ目線に立てるよう、小さなことで派閥を作らないように部署横断で交流ができるようにしているのだという。
 加えて、社長の息子は知的障害があるとカミングアウトしつつ「彼も精一杯やっています。一生懸命やっているのに評価で優劣をつけるなんて私には出来ません」と記事は締めくくっていた。

 この話をふと思い出して、上司に話をしてみた。「評価制度自体を無くした会社があるんですよ」と。
 特段「だから、自社でも評価を無くしましょう」と訴える意図があったわけではない。単に私は「こんないい会社がある、こんな組織になっていければいい」という例を一つ示したかっただけであった。
 上司は「それはいい話だね」とは言ってくれたものの。まくし立ててさらに聞いてきた。
「その会社って社員規模どれくらい?」
「確か30人前後でしたかね……」
「あと採用は……? 新卒がメイン?」
「ええ。新卒採用中心だったかと」
「やっぱり。規模が小さくて新卒社員ばっかりだと社長の目が行き届くから評価なしでも成り立つんだよね。みんな横並び意識を持つしさ。うちみたいに規模が大きくて中途採用の人も多いと、そもそも『評価がある』っていうのが当たり前の感覚でみんな入社してくるからさ……。その意識を変えるのはなかなか難しくなるよね」

 私は黙ってしまった。何だこの感覚は。別に「会社を変えたい」と懇願したわけではないのに。自分を否定されるような感覚に陥ったのであった。


 航を通わせることになった療育施設のプログラムは、個別でとにかくいろんな教材を用いて、1時間のなかでも10個以上に色々と行い認知を促していくというものだった。

 フラッシュカードで数字や、天気、植物、動物などをパッパと見せて説明したり。百玉ソロバンで数を数えたり。大型の積み木やぬいぐるみで遊びながら学んだり。パズルにおはじきなど様々なものが用意されていた。もちろん、航が喋れない平仮名の50音カードもあり、「あいうえお」を教えてもくれる。たくさん教材を使っていくなかで、何が得意かを見極めつつ、最終的には小学校への就学を見据えた集団学習へのプログラムなように感じた。

 当の航と言えば……。フラッシュカードは分かっているのか分からないのか、ぼーっと見つめていた。時折、自分が好きなバスや電車が出てくると「んー!」と反応はする。しかしそれ以上でもなかった。施設の先生が気を引くために、トミカの車やプラレールを出したら最後、「それで遊ぶ!」と奪い他のプログラムには見向きもしなくなってしまうのであった。

「最初の内はどの子もこんなもんですよ。ゆっくり焦らず。できることを増やしていきましょう」

 そう療育施設の先生は話してくれたものの……。1か月経っても、2か月通っても、あまり航が喋りだすような気配は無かったのである。

 内心、私は焦りを感じ始めていた。よく人の成長曲線は指数関数的で、最初はゆるやかな動きがある頃を境にグッと伸びるような印象がある。でも、あの成長曲線は厳密に言えば平均値を取っているので間違いのだという。これまで出来なかったことが、ある日を境に急にできるようになる。
 幼児でいえば、今までハイハイを、つかまり立ちを、おすわりを出来なかったのに、ある日から急に、”それ”をやるようになる、というわけだ。

 ただ、言葉に関して航は一向に喋りだす気配がない……。

「本当にこのアプローチでいいのだろうか……」と更に思い悩む日々が始まったのだった。


 数か月後のある日、上司との1on1で今期の評価が伝えられた。私は入社後初めて5段階で最低評価を食らった。

「航がどう育っていくのだろうか……」と思い悩んでいたら、いつしか仕事が手につかなくなった。
 上司からは「最近、一つの作業に時間かかりすぎじゃない? ケアレスミスも目立つし。求めてるアウトプットに全然満たないんだよね」と叱責されるようになった。
 叱責を受けると自信を失う。「今度はミスらないようにしなければ」と思うと眠れなくなる。

 私が会社で評価をされないのは明白である。これまで出来た仕事の「能力がないから」である。

 同時に、航のことを思う。このまま喋らないのであれば。自己主張をせず、他人から言いくるめられるようになれば……。「喋らない」という点で、能力が低い障害者と蔑まされ、後ろ指をさされて生きていくのだろうか。能力ない人間は淘汰されるべきなのだろうか。

 社のスローガンは「挑戦」であった。挑戦して事業を自社を、発展させるのはたしかに素晴らしいことではあるとは思う。一方で会社の評価の軸ははっきりしている。内実は「事業を創れて、立ち上げられる人」が評価される。実際に出世していくのはそんな人間ばかりであった。

 ただ私にははっきり疑念があった。会社は車でいうところの「アクセル」や「ハンドル」ばかり求めていないか。もっと重要なモノを見落としているのではないか。

 車も走ればいい、移動できればいいというニーズももちろんあるだろう。けれど、走ることの楽しさや安全性、乗っている時間の価値に重きを置く人間もいるはずではないのだろうか。会社が同時に言う「多様性が大事」という言葉が空回りしているように感じるのだった。

 そして「航はどんな大人になるのだろうか」を想像する。能力がない人間をこの世に生み出したこと自体が、そもそもの私の人生の間違いではなかっただろうか。航が生を受けたこと自体が、今の苦を生産しているのだとしたら……。なんと空虚なことか。

 その日の夜、私の不安を察してか航は癇癪で荒れた。保育園から自宅に帰っても風呂に入らないし、用意したご飯も食べない。何も食べなければ当然お腹がすく。抱っこを要求されて冷蔵庫の前に連れて行くも「んー」と悩んでばかり。そのたびに「いやだー。ないー」と泣きじゃくっていた。

 あまりにも泣くので、私はつい手を出してしまった。私の拳を受けた航はよろけて壁にぶつかり、ゴンと鈍い音がした。癇癪続きだったのだから、よりひどく大泣きする……かと思いきや。以外にも航はファイティングポーズを取り、私に向かって頭突きをしてきたのである。

 何が合っても「手を上げるまい」と思っていたが後の祭りであった。そして、航は「ままー」と妻の方に泣きながら走り去っていった。その日は自己嫌悪に陥り普段あまり飲まないウィスキーを何杯か煽って寝たのであった。

 翌朝。

 小さな手が私の背中を叩く。「とー。とー。おきて」と言う。

 航だった。

 そして、航は私の手を握り「とー。きてー」とリビングに連れて行ってくれたのだった。

 (この話はフィクションで、一種の思索小説です)

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