「飽きた」と思っていた事柄を振り返ったら、学習性無力感だったと気がついた話。
これまで20代から30代の15年間、記事を作ることを生業にしてきました。
金融関連で「株」「FX」「不動産投資」「住宅ローン」「クレジットカード」などについて書いてきたし、ビジネスに軸足を移してからはBtoBの「マーケティング」だったり「採用」「人材開発」「組織開発」なども多く手掛けてきました。
一方で、これらの「テーマ」は過去やってきて、一度は「飽きた」と感じた領域だったりでもあります。
「お金を貯める」というテーマの場合、回答はシンプルです。本業の収入を増やす、副業をする、投資をするなど「入ってくるお金を増やす」こと。そして、「出ていくお金を減らす」ために、ありとあらゆる節約術を行うこと。その2軸が大きな流れです。
ダイエットで言えば「なるべく食べない(摂取カロリーを減らす)」のと「なるべく運動する(消費カロリーを増やす)」の二択に分けられるのと似ています。この事実に気がついて以降、関連する記事作りが「何やらどれも似たようなもんで面白くないな……」と思っていました。
そして、僕は30歳から「組織開発」周りのコンテンツに軸足を置いていくのですが……。そちらのテーマも数年やっていくなかで似た感覚を持っていきました。
「飽きた」と感じたとき、僕は自分自身の興味の赴くまま、ちょっとずつ「自分の知らない領域」を探ることでなんとかやりくりをしてきました。他方面で、「もう、これはお腹いっぱい。自分でこれ以上記事を作るのは無理……」と感じた領域もあります。
とはいえ、当時はそう思っていても数年ぶりにそのテーマで記事を作ってみると……。「あ、今の読者層はこう感じるのか」や「世相がこう変わったからこんな表現の方が多分刺さる」というアイデアが湧いてきます。「飽きていた」と思っていたのは単なる思い違いだったと気がつくのです。
では、なぜ「面白くない」と感じていたのか。
それは「何をやってもどうせ無駄である」と感じる「学習性無力感」があったからという説明が自分ではしっくりきます。
「会社の売上利益ために……」とか「この上司に評価されたいから……」という欲は僕の場合あまりありません。
「この会社のために頑張ってもなぁ……」だったり「これ書いて作っても別にこの人は喜んでくれるわけじゃないしなぁ」という思い。これらが「どうせこれをやっても評価されない……」という「学習性無力感」につながっていったと思います。
学習性無力感の気持ちが顕著になれば、「特に何も主張しない」や「自分からアクションしない」というのが自分の是になっていきます。
それをより感じるのは僕自身のキャリアの駆け出しである編プロ時代に遡ります。
当時を振り返れば「何も言わない」というのが僕にとっての自明の理でした。4~5人程度の小さい会社で、僕が何か話題提供をすれば「お前は原稿が下手なんだから」と罵られ「お前、つまんないんだから駅前でナンパとかしてこいよ」「面白くないからデブになれ!! 太ってると面白い」とパワハラを受けたのを思い出します。
自分から話題を提供すればそれについて突っ込まれる。故に、自分からは『何も言わない……』が是となるのです。
この「どうせ自分が何を言っても変わらない」という「学習性無力感」は結構な根深い問題ですね……。
他方で昨今は「飽きた」と思っていたテーマでも、自分自身を信頼してもらい、僕も「この人のためなら」と思えたら。全くそうは思わずに「全然楽しくやれる」と昨今気がついていたりします。
学習性無力感を無くすには。全てではないかもしれないけれど。お互いに信頼し合うことが必要だと今日このごろ思っているところです。
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