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(おそらく)離人感・現実感消失症(ようなもの)の記憶

自分のなかに発達障害(ASD)がある、と気づいてから。「あれも、これもASD由来によるものだったか……」と、過去の記憶に対して改めて意味付けをしていたりする。

そして、診断名は付いていないけれど。おそらく「離人感・現実感消失症」だったのでは、と思っている。

離人感の症状は、自己の身体、感情、思考、感覚などから自分の主体性が失われて、自分自身を非現実的に感じる体験とされている。 一方で、現実感消失の症状は、外界(世界、人、物など)から自分が切り離されているように感じられ、周囲の世界に親しみを覚えられず、非現実的に感じる体験とされている。

離人感・現実感消失症の病態解明への第一歩 - AMED

小学校時代の記憶


話は僕自身の小学校時代に遡る。僕は小学1年生から3年生の7月25日まで、長野県大町市にある大町西小学校に通っていた。父親の仕事の都合で転校し、7月26日からは長野県塩尻市の桔梗小学校に通うことになる。

余談ではあるけれど、2学期の初日から転校ではなく、なぜこんな中途半端な日付なのか、というと「夏休み期間中には住む先は塩尻市に移っているから、早く馴染めるように」という母親の謎配慮があったから。「早めに移っておけば夏休み中のプールや図書館開放日に通えるし、友達とも遊べる」という魂胆だったようだ。

結論から言うと、そんな配慮があってもなくても全く関係なく、僕は疎外感を感じ、離人感・現実感消失症を得ていたと思う。

転校前の僕の小学校生活は比較的安定していて、特に憂いは無かった。

長野県大町市は北アルプスの麓にある自然豊かな街。学校の近辺には美しい田園風景が広がっていて、春になり田んぼに水が張れば、水面にまだ雪解けの残る北アルプスの姿が映り込む。春先にはあぜ道に生えているホトケノザのピンク色の筒状の花を外して密を吸っていたりした。文字通り、「道草を食って」過ごしていた少年時代である。

毎朝、登校すると図書館に行き本を借りるのがルーティン。小学校低学年の内はスクールカーストもないので男女別け隔て無く、みんな仲良くなクラスであった。先生は自主学習を推奨しており、自分で課題を立てて取り組み、ノートに提出すると、お手製の「大変よくできました!」というハンコを押してくれた。ハンコが10個貯まると「”とっても”よくできました」、20個で「”もっと”よくできました」と段々にグレードアップしていく。今でいうゲーミフィケーションの要素を取り入れ、クラスのみんな挙ってハンコを求めて自主学習に励んだ。クラスで一番初めに100個集めたのは僕であり、そのことを誇らしく自信に思っていたことを覚えている。

ただ、塩尻市に転校したら環境は一変する。

まずは服装。普段着は「青色のジャージ」で登校するという暗黙の了解があった。私服を着るのは始業式と終業式のごく限られた機会だった。転校初日に私服で通ったところ、周囲から何も疑問を持たずに「なんで私服なの?」と聞かれて答えに窮した。ただでさえ、珍しい転校生が更にマイノリティになった瞬間だった。

学校の授業の進み方も違う。手先が不器用で左手の使い方も習っていなかったのでリコーダーが吹けず、帰りの会のリコーダー練習の時間は息を潜めていた。

漢字が書けず、「字が汚い」という特性をより自覚したのも転校してからだ。担任の先生は休み時間にみんなの漢字ノートを複数人の子どもたちに囲まれながら「ここはあんまり上手じゃないね。誰のだろうね」と言いながら丸付け採点して、最後「じゃーん、上野くんのでした」と僕がいる眼の前でネタバラしをしていた。あのときは顔から火が出るほど恥ずかしかったのを覚えている。本来の意味とは違うけれど「アウティング」に近いことをされたと感じている。

クラスの話題にもついて行けなかった。母親の方針でバラエティ番組を見させてもらえなかったので、『マジカル頭脳パワー!!』きっかけで流行った「マジカルバナナ」のルールを知らず、「それどんなゲーム?」と聞いたところ「え、見てないの? 遅れてるー」と何の気なしに揶揄された。僕自身も母親に「バラエティを見たい。『遅れてる』って言われるのは嫌だ」と懇願したものの「そんな下らん番組は見なくていい」と言われてしまった。90年代後半のバラエティ番組や歌謡曲などは、後年になって得た知識はあるものの特に思い入れはない。というより、今でもSPEEDやMr.Childrenなどの90年代後半の楽曲を聞くとその辺りの記憶が蘇ってくるので出来れば避けたい(アーティストや歌には罪はないです。念の為)。

ココにいるべきではない、という感覚が芽生える

ほかにも「スーパーファミコンのようなゲームハードを持っていなかった」等などのマイノリティ要素はあるのだけれど。そんなこんなの経験を経て、疎外感を感じ、馴染めなくなってしまった。

「ここにいるべきではない」や「もともと大町市で何の問題もなく過ごしていたのだから、自分が帰るところはあそこ」「環境が変われば上手くいく……」といった感覚を持っていた。

しかし、小学校4年生のときにその幻想も打ち砕かれる。運動会か何かの振替休日で学校は休みになり、親も大町での用事があったので大町の以前のクラスに遊びに行ったのだ。1年ぶりに会う友達たちは優しかったけれど……。その後1年分の学校行事・コンテクストを共有していないのだから話題はそれほど弾まない。ハンコの自主学習はインフレ化して1000個に達したところでカウントはストップ。『ドラクエ』の魔王を倒す漢字書き取りプリントに変わっていた……。

こうして僕は離人感・現実感消失症(ようなもの)を得た。「今の自分は、過去の自分の抜け殻である」とか「自分は自分ではなく、過去の自分からパラレルに分岐した、全く違う自分を生きている」といった感覚を持つに至ったのだ。とはいえ、寝て起きて、自分を取り巻く状況が何も変わっていないことを受け入れたら徐々に薄れていった。

ただ、その感覚はその後「なぜここに居るんだろう」や「なぜ生きているんだろう」という問いに繋がっていく。そして、その問いは「書くこと」で多少救われていくのだけれど。それはまた別の話。


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