短距離走か、長距離走か。いや、リレースタイルかもしれない。
「きれいごとをしようじゃないか。」のメッセージを発信し続けるベンチャー企業で働き始めて11年。
人事になって5年が経ちました。
ちょいとだけ。私のことを綴ります
生まれ育った宮城県で、大学までのほほんと過ごしていた私が、ベンチャー企業に入社するなんて思ってもいなかった!
というか、ベンチャー企業のべの字も知らない大学生でした。立ち上げ3年目のベンチャー企業に新卒1期生として入社して、荒波に揉まれながらも今に至っているというのは何とも不思議な感覚です。
お父さんとお母さん。
自営業をしていたから、働くことと生きることはほぼ同義で、そんな環境の中育ててもらったことが今ではありがたいことだと感じています。
社会人になった私も、じょじょに、徐々に、
自転車が坂を下りていくが如く、
加速度的に働くことと生きることが同義になっていきました。
20代前半
入社以来、
20代はずーっと ”短距離走の勢いで長距離を走る感覚” で、仕事をしていました。家はオフィスから徒歩3分だけど、ベッドで寝たら起きれないから会社で寝る。そのための寝袋も完備!(当時はやや自慢げ)
部署の掛け持ちも当たり前。
1人2役でも、3役でも、やってほしいと言われるならば引き受けましょう!という気概をもって仕事をしていました。もちろん楽しい。
ですが、、、
です、、、
20代後半
短距離走の勢いで長距離走をしていたら、途中で息切れをおこして当然です。
私の身にも異変が起こりました。
婦人科の疾患で、手術をしなければならなくなり、物理的に仕事から離れなければなりませんでした。
しかも、20代後半、未婚。卵巣を摘出。(結果、片方残ったけど。)
「手術が必要、2日後には入院して。」と医師から伝えられ、懸命に心の整理をして、上長に明るく電話をするも、目には溢れる涙。
「あー、走りすぎだったんだ」と身を持って体感した出来事でした。
30歳手前のわたし
その翌年から1年はハイキングくらいの感覚で、仕事をしていた部分がありました。
一生懸命仕事をし過ぎることへの不安や恐怖。
アドレナリンを出してがんばれちゃう自分を制しながら、仕事へのエネルギーを調整していました。
…結果、
すごく虚無感だけが残る。
という不思議な感覚になりました。
手ごたえや充実感、というものではなく、なんとなく物足りなさが残り、
”ハイキングコース”もまた違うんだなぁ、という感覚。
身体は無理をしたくない。だけど一生懸命働きたい。
そのバランスが難しい。
30代、心の底からたのしく居ること。
気付くと、たまに短距離走をやっています。(笑)
だけど、
唯一、心の持ち方で違う部分があります。
短距離のように個人タイトルを目指しているのではなく、リレーのようにみんなでバトンを渡しあいながら走っている感覚だということです。そして、それが心地よく、しあわせで楽しいということに気が付けた。
プライベートでも、ジブンの ”好き” なことをスタートさせました。
茶道のお稽古を再開し、勉強会の世話人を任せてもらうことになりました。
平日だけでなく、土日の予定がどんどん埋まっていく状況ではあるものの、それもまた、心地よくアクティブな状態にさせてもらえているなぁと
感じています。
当初はちょっとしんどいかなー・・と思っていたけれど
”仲間”がいて、そこに信頼できる繋がりがあるだけで、
人生2倍楽しませてもらっているような感覚です。
何よりも、「HELP・助けてー」と言えることが大きいのです。
身をゆだねるって、こういう感じなのかなぁ~
わくわくを中心に生きてみる
頼まれごとは断らず、できる範囲で(←ここが重要(笑))お役に立ち、
自分の「好き」に正直に生きること。
仲間を信頼して、身をゆだねてみようと思えるようになりました。
きっと、みんなが素敵なところへ連れて行ってくれる。という変な自信がある。(笑)他力本願かもしれないけれど、これもまた私の人生を使った実験!
バトンを繋ぎながら助け合いながら走る。
そんな毎日を楽しんでみる、30代前半です。