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不器用なくせに器用な自分


最近「自分のスタイル」を見つけ確立したいなと思っている。
ちなみに今年の私の抱負は「Create may own world」なので、私自身のことについて語ることを少し許して頂きたい。

私は自他共に認める不器用な人間だ。他とは、家族であり、それ以外の人からは見た目から(どんな見た目か知らないが)「器用になんでもこなす人」と思われるらしい。(驚きしかない)

ただ、ものすごい方向音痴で、外出先でお手洗いに入れば、出たときに必ず反対側に行ってしまうと言う、方向感覚ゼロで、見事なドジっぷりを何度も家族は見ているし、客室乗務員時代の実技訓練では、一度教官が見せてくださった実演では絶対に理解できないので、居残り練習を自ら志願し、なんとか一人前になれたほどだ。

一方で、おそらくこの客室乗務員の仕事で培われたのだろうが、自分を相手に合わせることが器用にできるようになっている。
多分生まれた時からそれは苦手分野だったはずで、その名残が友達が少ないことに表れていると思う。
知り合いはかなり多いが、友達は少ない。
ちなみに私の友達の定義は、「なんでもお互いに話せる、さらけ出せる人」だ。

ところが、生きていく上には役立ったかもしれない「相手や状況にに合わせられる器用さ」が、今自分にとって邪魔になってるのを感じる。

書きたい欲はあるのに、無難に行こうとしたり、本当に書きたいものより、書きやすそうなものを選んでいる自分がいる。

それに気づいた時、「あ、これが器用さのデメリットだ」とわかった気がした。
だから、この器用さ、処世術?のようなものを捨てようと思っている。

合わせないといけない人には会いたくないし、
合わせないといけない仕事はやりたくない。

生き方が変化したからこそ、今まで大事だったかもしれないスキルがむしろ邪魔になっているなんて、すごい不思議なのだけど、仕方がない。

色んな断捨離をしてきたが、まさか自分のスキル断捨離までするとは思ってもいなかった。
ただ、すごく良い経験をさせてもらっているのも事実だ。
一回限りの人生を、違う人生として生きることができるなんて、人生2回生きてるような感じさえする。

これから私が書くものが、

視点
書き方
考え方

において、自分のスタイル、自分がぎゅっと詰まってる文章や作品。
それを完成させたい欲が、今全開なのだ。


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