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様々な自由があるけど、やっぱり自由は最高だ


実は、スタンドFMで最近話をしている。
ペンネームではあるが、初めての挑戦をこの年齢でやっていることを話している。

ペンネームということで、このnoteよりもさらに深い話ができているかもしれない。

私が「書くことで生きていく」ことを目指して、挫折は2回。
立ち直るのも、案外早くて3日くらいで回復しているが、その経緯も話をしている。

幾つになっても挑戦はできるし、その過程で挫折することもあるが、立ち直って進み続けている、ということを、そのままストレートに伝えている。
それがなんの意味があるのかは、私が決めることではないが、私にとっては顔の見えない人たちに自分の良い時も悪い時も伝えることで、頭と心の整理ができているし、備忘録にもなると思っている。

そして今日話をしたことが、「自由」についてだった。

世界一周の時に感じた、日本から離れた場所にいること、時間を守ることや仕事の義務感からの解放、価値観や常識の崩壊が、私を自由にしてくれたことは、生涯忘れないだろう。

そして、現在「小説」という、創造物を書いている中で、「なんて自由なんだろう」と感動している自分がいる。

小説の中では、どんな話の展開もできるし、そこに法律もない。
ミステリー小説では、人が何人も死ぬし、破天荒な人生もある。
今までは、誰かが創作したものを見て、読んで、聞いていた側だったのだけど、今自分が「作る側」に立ってみて、その自由度100%に感動して
いるのだ。

物語の中では、なんでも作れるし、自由に主人公を動かせる。
言いたい言葉も言えるし、どんな人物も登場させられる。
常識や、普通は必要なく、むしろ邪魔なだけなのだ。

これは、自分が作ってみて初めてわかったことで、だからこそ「挑戦することに意味がある」のだ。

私は若い時、いや、子供の頃から自由を欲していた。おそらくほとんどの子供は自由を欲していると思う。

しかし、だんだんと社会に組み込まれ、抵抗するよりそれに従っている方が楽だと思わされたら、もう終わりだ。

思考と感性が停止して、何か違和感を感じていても、その正体を知らずに生きていく。

私も危なかったな。

違和感を抱えたまま、現状維持で生きていこうとしていたのだから。

ずっと前に封印していたこの夢を思い出せたのも、やってみようと思い立ったのも、全てのきっかけは「コロナ」だ。
コロナによって強制停止がかかり、ようやく自分と向き合う時間ができたからだ。

今では、転職したり、独立したり、苦しいことから、どんどん人は離れているように見える。
これらも、自分と向き合い、考えて決断している人が増えたということだろう。

時代も変化した。

それが流れであり、この流れは誰も止めることはできないだろう。

世界一周と小説を書くことの自由の種類は、少し違うのだけど、新しい自由を感じられている今は、本当に楽しい。

これからは、さらに自由になるための学びや、更なる自由を求めて旅に出ていく、または海外に長期滞在する自分を想像している。

やりたいことは、絶対に挑戦した方がいい。
その先に、必ずしも世間で言われる成功があるとは言えないが、少なくとも自分が欲しい気づきが待っていることは、間違いないようだ。

そして、もしかすると挑戦して気づきを体感することが、今の時代の「成功」なのかもしれない。


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