見出し画像

いつ死んでもいい、と思って生きるのが幸せなのかもしれない


ある日の夕暮れ。

仕事の合間に、仲間同士で楽しそうに話をしている
男性たちを見ていて、「もしかすると少し仕事をサボっているのかもしれないけど、こうして友達と会ったんだから、今のおしゃべりを楽しもう」と思ってるように見えました。

その時に「だって明日死ぬかもしれないなら、今日の友達との会話を大事にするよね」と思ったのです。

仕事はサボっちゃダメでしょ、と言うのは簡単です。

でも、それは明日以降も生きてると勝手に信じてるから言えること。
なかなか仲良し三人が偶然に会えることなんて、滅多にないのに、すぐ戻れる仕事を優先するなんて、馬鹿げてるって思ったのです。

明日生きてる保証はどこにもないのだから、
この三人で会えたこの瞬間を大事にすることが、
私は素晴らしいと思えました。

決断に迷った時私はいつも「死ぬ時に後悔しないこと」
を判断の基準にしています。

「これをやらなかったら、死ぬ時に後悔しないか」

「これをやってしまったら、死ぬ時に後悔しないか」

を考えると、案外すぐに答えは出ます。

できるかどうかより、「死ぬ時後悔しないかどうか」で決めるのです。

やらないと後悔することは絶対にやったほうがいい。
そしてすぐに挑戦し、できてもできなくてもやる。

そう思って、今までいくつも後悔を減らしてきました。
それで良かったと思っています。

こんな生き方を「死生観をもとに生きる」と言うそうですが、そんなに大したことではありません。

みんな同じです。
この世に生まれた以上は、毎日死に向かって生きてるし、必ず1人残らずこの世を去る日が来るのですから。

その男性たちがそこまで考えていたかどうかはわかりませんが、話している時に心から楽しそうに笑っていたのを見て、
「良い生き方だな」
と思いました。

いつ死んでもいいように生きる。

私はこれから、ますますそう思って生きていきます。

そうすれば、我慢しないし、むりもしない。
嫌な人には会わないし、気の進まない場所にも行かない。
やりたくないことはやらないでしょう。
だってそんな時間がもったいないから。

でも、自分の本当にやりたいことに集中して
時間をかける。


こんな風に考えられるようになってる自分は、少しだけバージョンアップしたようです。


サポートありがとうございます!いただいたサポートは、次の良い記事を書くために使わせていただきます!