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当たり前を超えていく


幼い頃からの環境を人は当たり前と思う。
幼い頃からの刷り込み、周囲がいったことを当たり前と思う。

自分が経験したことを、その当たり前で捉えたことを
当たり前と思う。

結局自分の当たり前は、誰かによって刷り込まれ、
自分の偏った捉え方でできている。

それでなんの疑問も、不満もないならそれでいいが、
「なんか違うな」
「何か嫌だなl

と思った時は、その当たり前を超える時だと思う。



コロナで仕事が激減した時、私のせいではないのに、
自信を失い、自己嫌悪に陥った。
その理由はわからなかったが、それまでの当たり前を
強制的に崩されたことによって、取捨選択が始まった。

当たり前だと思っていた考え方の中から、
心地良いものばかりを残すことにした。

頑張るより楽しむ。

我慢耐性が強いのでがまんしてることにも気づかないから、胸がキューっとなったら、やりたくないサインと認める。

おちこんでることを否定せずに、認める。

嫌なことは嫌と言って、断る。

自分は自分でいいと心から認める。

誰かと比較しない。

誰かのようになろうと思わなくて良い。

競争はいらない。

全ては良い方向に行くと心から信じる。

自分は運がいいと信じる。

断定、断言はしない。

人との距離感を大事にする。

これらは、私が2020年から変化し続けて得た、
自分が心地良いと思う、当たり前だ。

これらは人とは違うかもしれないが、
私は私の心地よさを選ぶだけ。

この心地良さを手に入れたことで、
ようやく自分がやりたいことが見つかり、
今経験中だ。

「当たり前は、超えるもの」だと思うが、超える前に、壊す必要がある。

破壊と再生という言葉があるが、私は「破壊と超越」
だと思っている。

そしてそれは自分にしかできない。
なぜなら、自分にしか心地良さがわからないから。

こうして生まれた時に持っていた、自分らしさを
取り戻していく。
自分らしさを取り戻せば、やがて進む道が見えてくる。

破壊がマイナス。
自分を取り戻すのが、ゼロ状態。
自分の道が見えてくるのがプラス。

マイナスからゼロへ。
ゼロからプラスへ。
ちゃんとそうなっている。

時には、また破壊して超越する必要があるだろうが、
自分の心地良さに敏感でいれば、微調整で充分だ。

そうして自分らしさを取り戻した時に出会った人とは、無理なく付き合っていけるだろう。

こうして人生って、いつでも変化できるからこそ面白いし、変化可能なことに感謝しかない。

誰にも遠慮はいらないから、自分の心地良さを追求しよう。

この瞬間、音楽が流れるホテルのラウンジで、
美味しい紅茶を飲みながら執筆しているこの状態も、
私にとってこの上ない、心地良いひとときだ。


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