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全ては仕組まれている



最近感じることだ。

誰から連絡があるのかも
誰に会うことになるのかも

仕事を引き受けるのか断るのかも

何を見て、どこに行くのかも。


全ては仕組まれている気がする。


自分で計画をしたつもりでも、
自分で会いたいと思ったつもりでも、
自分で引き受けたいと思ったつもりでも、

実は、「そうなっていたんだろうな」と思う。

先日も、ある卒業生がFacebookのカバー写真を変更していたのを見た。
それも、多分たまたま。

旅先での写真だったので、「元気なんだな」と思ったら、
その翌日メッセージがきた。
これもたまたまだろうが、やっぱりな、という気もした。

そしてたまたま彼女が言う日程に、私は会うことができた。
ランチのためのレストランを予約し、行ってみると予約しなければ
行列するところだったとわかった。

久しぶりの再会に、私から問いかけなくても次々にいろんな話が彼女の口から出てくる。
こちらから聞きたいと思っていたことも、びっくりすることも。
たぶん私に会いたいと思ってくれた、ということは、こんな話をしたいと思っていたのだろうと思って聞いていた。


聞いているうちにわかった。
きっと私と彼女は今同じフェーズにいることが。
私は彼女を全面的に応援したいと思ったし、
彼女は彼女自身を信じて進んでいけばいいと思ったし、
彼女は時代の変化に合っているし、波に乗っていくだろうと感じた。

その後場所を変えてお茶を飲みにいった時、私が話そうともしていなかったことを話すことになった。
これもたまたま。偶然。

そして会う前には思ってもいなかった情報をもらった。

そっか、こういう展開になるんだったんだな、と思った。
そして、私もFacebook写真を見たときにふと感じたことを伝えると、
「実はそう思っていたんです!」と、すごく驚かれた。


全ては「仕組まれていた」のだ。

これを運命と呼ぶのかもしれないし、
これを偶然と呼ぶのかもしれない。

別れた後、彼女からLINEメッセージが届き、私が彼女を教えていた時のことへの感謝と、それが今の彼女にも十分に役立っていることを教えてくれた。

決しテクニックだけではなく、「あり方」について「考え方」について、私が教えたことで学生だった彼女の視野を広げることができたらしい。

出会いは運命だ。

多くのスクールの中から、あるきっかけで選ばれて私のところに学びにきてくれた多くの卒業生たち。
その人たちとの出会いは、やはり運命だったと思うものがほとんどだ。

同じことを伝えても、受け取る相手によって受け取り方は違う。
こちらが伝えたかったことが、ちゃんと伝わったと思った時の喜びは、教える仕事の醍醐味だ。
「無駄なことは何もない」

どんな職業を選んでも、どんなに大変な思いをしても、どんなに結果が見えないと思っていても、全ては意味があり、仕組まれている。
運命と言う、人知の及ばないものに。


これからもその仕組まれていることを楽しみに生きていこう、と思ったある日のことだった。


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