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上半期の最終日に「無駄なこと」ってなんだろう、と考えてみた


上半期の最終日。
6月に入ってから、一気に加速した気がする。フラフラせず、一気にまっしぐら、と言う感じ。
決断が早くなった。
決断が鋭くなった。
それまでの期間は、この6月の気づきのためにあったんだな、と思う。
助走をつけていた期間だ。

もしかすると、そんな感じの人は多いのかもしれない。

「コロナの期間は無駄だった」

と思った時もあったが、実は無駄でもなんでもなかった。

「無駄だった」と言う人は、「では、何が無駄ではないのか」と聞かれると即答はできないかもしれない。
私は「全ての出来事には意味がある」と思っている方なので、あまり「無駄だった」と言う言葉を使っていないと思うが(自覚がないだけかもしれないが)「じゃあ、あなたにとって無駄でないことってなんですか」と聞かれたら、今までの私は答えられなかった気がする。

今の私には、「自由」が大事で、「好奇心の赴くままに行動するのが、自分らしい」と気づいたので、それを妨げるものは、全て「無駄」だと今は思える。
だから、断捨離をしているのだと思う。
ここ二日間、1箇所集中で片付けをしている。
これが気持ちがいいのだ。
無駄なものに気づいたから、どんどん断捨離ができるんだろう。

コロナから、いや、それ以前から経験してきたことは、形として残っているものもあるので、
無駄だとは思わない。
このnoteを始めたのも、コロナ禍だったので、確実に記事数は毎日積み重ねられていて、形となっている。
コロナが来なければ、noteは始めていないから、無駄な時間ではなかった。
さらに、時間ができたことで自分と向き合った。
こんなに自分と向き合ったのは、思春期以来ではないかと思うくらいだ。
これがとても大事な時間だった。
そして、自分の本当の気持ちに気づいたし、気づいたことを実行するようになったら、なんだか肩の力を抜いていても、十分に生きられるし、その方が幸せ度が上がっている。
全て無駄ではない。

ただ、この向き合ったことで「いらないもの」がわかったので、少しづつ手放していき、今も手放し中だ。

本も、服も、一度全て捨ててみようか、と思っているところだ。
全て捨てると着るものがなくなるので、自分でシャツ⚪︎枚、スカート⚪︎着と決めてみようか、と思っている。

モノがなくなれば、もっともっと狭い部屋に引っ越しもできるし、引越ししなければ、もっと広いスペースができる。

楽しい。
実に楽しい日々を送っている。
これも、「一見無駄だと思える時間」があったからだ。
全ては無駄ではない。
全ての出来事は意味があるのだと、私は思う。


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