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軽く生きていく


某日、ある人とメッセージのやり取りをしていた。
その方に以前ある情報をお知らせしていたのだが、その方はちょうど忙しい時期で、その情報をうまく活かせなかったことを詫びているメッセージだった。

私は、ただ情報を流しただけだったので、その後どう生かすのか、生かさないのかはその方に完全に主導権があるし、「どうしたかな」とは思っていたものの、どちらでも良かった。
ただ、その方は申し訳ないという気持ちでメッセージを送ってくださっていた。

そこで、私は「忙しい時期に当たったということは、ご縁がなかったということですから、またご縁があれば必ずチャンスはきますから」とメッセージを返した。

すると、生真面目にも「そのチャンスを活かせるようにします」と書いてあり、少し違和感を感じた。

ただ以前の私ならきっと、その人の考えに賛同しただろう。

以前の私は、「チャンスは絶対に、何がなんでも逃してはいけない。逃すのは自分が悪い」と思っていた。
さらに「次のチャンスを絶対に活かさなければならない」と考えていたと思う。
とにかく、考え方と生き方が「重い」のだ。今考えてみれば。

元々真面目なので(自分で言うが、本当にそうだったと思う。決して誉めてはいないけど)きっちり、しっかり、やらなければならない、と固く信じ込んでいたのだ。
それによって信頼を得ることも確かにできたのだが、自分で自分に課す義務も多く、やがて疲れてしまったのだと思う。
それがちょうどパンデミック時期と重なっていた。
自分の考え方が重くて仕方がなかった。だから自分のことが嫌になったのだ。

ただそれから3年経ち、私も「軽く」なっていった。
物質的断捨離もしたが、思考の断捨離が一番大きく、自分にも人にも、「ねばならない」や「こうあるべき」など、を本当に捨てた。
人にも自分にも期待しすぎない。
もちろん自分がベストを尽くしたいと思えば、自然とやるだろう。
ただ、その結果までに自分が責任を負うことは「できない」とようやく悟ったのだ。
だから、この方の言葉に、姿勢に違和感を感じた。
そこには「次のチャンスを絶対に掴まなければならない」と言う義務感が見えたから。

そこで私は「チャンスに乗れるためには、余裕を持って楽しく毎日を過ごしていることが大事ですよ」とそっと伝えた。

その後とても賛同してくださっていたので、少しは伝わったのかもしれない。

「軽く生きていく」

と言うのは、自分にも他人にも期待しすぎず、やりたいと思うことだけをやり、あるがままを受け入れると言うことだと思っている。

このお正月3が日も、以前の私なら「1日はゆっくりしてもいいけど、2日からはもう通常モードで仕事をしなければ」と思っていたし、そうしてきた。
しかし、この三が日は目覚ましさえかけず、目が覚めた時間に起き、好きなものを食べ、行きたい場所に行った。以前ならそんな自分を責めていただろう。
でも今は「そんな日が私には必要だったんだ」と心から思えるし、それでいいのだと自分に言えている。その自分の変化に、本当に驚いている。

期待しすぎないからこそ、もし結果がいわゆる「うまくいかなった」としても、それは「今はそんな時なんだ」と思えるから、落ち込むこともない。
やりたいと本当に思うことだけをやり、あまりやりたくないな、と思うことはやらないので、時間的にも精神的にも余裕がある。

その余裕が、チャンスに気づき、チャンスに乗れる自分を生む。あくまでも自分がそのチャンスに乗りたいと思った時だけだけど。

目の前で起きることに一喜一憂せず、「そうなんだね」と思える自分に少し近づいていると思う。

軽く生きると良いことはたくさんがあるが、一言で言えば、「自分の気持ちが常に安定していること」だ。

落ち込まないし、嫌な思いもしないし、自分のことだけに集中できる。
余裕があるから、人にも優しくなれるし、嫌なものはうまく断ることもできる。

体重は変わらないけど、自分が軽くなって生きているのを感じた瞬間だった。


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