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「決めるのは自分」


最近、つくづくそう思います。

以前は、何が正解っていうのは明確だった気がします。

高卒で就職するより、大学に行って就職した方が給料も高いから良い

とか

中小の企業より、大企業がいいとか、(今でもそういう人いるが)

これらのことはほとんどの人が「そうだよね」と思っていませんでしたか?


つまり「考える必要がなかった」のです。
正解が一つで、それはほぼみんなが賛同できたから。

正解はひとつではない

でも、今は「正解は一つではない」時代に入ったと思っています。


「人それぞれ」って思う人が増えています。


コロナにしてもそう。

マスクさえしていれば安心という人や、
マスクしなくても、手洗いうがいをしていればいいという人、
それら全てをしたほうがいいという人

ワクチンも

打った方がいいという人
打たない方がいいという人
それぞれの状況や年齢によるという人

正解なんて、人それぞれに違う、ということが本当に増えてきました。

でも本来昔から、「人は人、自分は自分」だったのだと思います。

私は両親からよく言われていました。

「うちはうち」

って。

誰かが何かを持っているからほしい、と言っても絶対に買ってもらえませんでした。

自分で考え、自分で決める、ということを常に求められる環境にあったように思います。


では、自分で考え、自分で決めるにはどうしたらいいのか?を考えてみました。

自分で考え、自分で決めるために必要な5つ


1 情報を集める

2 情報を一つ一つ自分に問いかけて、不要な情報、自分が信じない情報を捨てる

3 決断する

4 間違っていたと思ったらすぐに修正する

5 間違ったことを検証して、次回の決断の際に生かす

ということが必要な気がしています。

自分で決めるデメリット

確かにめんどくさいです。

でも、本来自分が本当に納得できるものを選択したければ、めんどくさいのは当たり前です。


洋服でも、既製品を買うのはサイズと試着で似合っていると思えば、簡単に買えます。
でも、洋風を仕立てる、オーダーメードになると、(いわゆるオートクチュール)
採寸して、生地を選び、デザイン画を描いてもらって打ち合わせし、仮縫いして、何度も試着してようやく出来上がります。


私はオートクチュールは作ったことはありませんが、母が洋裁をしているので、
幼い頃から母の手作りの服を着ていたので、知っているのです。
これほど手間暇がかかるので、シャネルのオートクチュールなんて、300万円くらいするらしいです。

自分を大事にするってこういうこと


でも大事な大事な自分のことならば、そこまで手間をかけても自分がどう思っているのか、どうしたいのかを考えてもいいのではないか、と思っています。


確かに、仕事が忙しい人は誰かを雇って誰かに考えてもらってもいいと思います。
でも、普通の人は自分のことくらい自分で考えて決められるくらいの時間は、確保できる生活が必要なのではないか、と思う日々です。
(コロナと地方都市に転居したことで、その時間的余裕ができました)


そうすると、「みんな違ってみんないい」(詩人 金子 みすゞさんの有名な言葉)の世の中になっていくのではないか、と思っています。

上野 博美

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