知識が増えてきたら、一旦忘れて遊ぶのがいいんだと思う
ギターを練習するのは、歯磨きするぐらいの感じで習慣となっていますが…
ライブに向けた練習が中心になってくると、算数ドリルというかなんというか…そんな感じのテンションになってくるんです。
それでも、好きでやってるから「ぐぎぃぃぃ」みたいに歯を食いしばってやるのとも違うんだけど。
遊ぶという要素から少しはみ出たところ。遊ぶと修行の狭間みたいな。そんなところにいる気がするんです。
ギターをはじめたばかりの頃は、もっと遊び側にいたはずなんだけれども。
「ギターのことをもっと知りたい!もっと弾けるようになりたい!」と思って、いろいろ勉強していくうちに、知ってることが増えたんですよね。
いろいろ知っていると、それが邪魔になることもあるなと。
わたしはたぶん、「言われたことを、その通りちゃんとやる」ことが、できるタイプなんですけど。子どもの頃は、それで「いい子」に見えていたと自覚しているんですけど。
放牧されてた方が、すくすく育つタイプだったんじゃないかと思うようになって。
というのも、枠にはめられると、縮こまっちゃうんです。怒られないように、失敗しないように、きちんとやろうとして、逆にうまくいかない。
動ける範囲を、勝手に自分で制限して、狭めていっちゃう傾向があるなーと、最近気づいて。
演奏も同じだったんです。「練習練習…!」ってやってると、いつの間にか枠を自ら作っていっちゃうというか。
間違えないように、制限しちゃう。飛び出ることをしなくなる。そういうところがあるなーって。
わたしは、たまーに作曲もするのですが、これまでに、ガガっと何曲か集中的に作っていた時期が2度あって。それが、ざっくり音楽理論を勉強する前と後だったんです。
仕上がりを聴くと、勉強前はシンプルな感じ、後はオシャレな感じになっています。それはそれで成長してるのかなって。
ただ、勉強する前の作り方って、いい意味で枠にはまってないんです。
「こうやったらカッコ良さげ〜」とか、「こういう流れ、どっかであったよな〜入れてみよう」とか、行き当たりばったりに、これまでの演奏の蓄積を反映している感じ。
勉強した後だと、「定番の流れをベースに、変化をつけて意外性を出すポイントを入れよう…」みたいな。まず、勉強した型にはめて、どこでそこからはみ出すかを計算してるんです。
どっちがいい、悪いっていうわけじゃないけど、前者の方が、狙ってないおもしろさが出そうじゃないですか?
実際に、枠からはみ出るのって、理論を身につけている方が、かえって恐かったりするんですよね。
「え、じゃあこの後、どう回収するの?」みたいに…めんどくさいことになるから、扱いやすい方を選ぶ。
逆に、知らなければ、理論から逸脱してるかどうかもわからないので、聴いてみて良さげならそのまま「採用〜!」ってなったりするんです。
音楽の歴史を辿ってみれば、理論が確立される前に、歌はあったわけで。
理論は、歌に共通する規則をまとめたもの。例外だったとしても、「セオリーからはみ出るけど、かっこいいからOK」にするために、なんやかんや理由をつけてるのかなって。
「かっこいい」なら、説明できなくても、それでいいんですよね。
そう考えると、自分の感性で「いいな!」って思ってるなら、枠にはめずに、そのままでいいって思えてきて。
理論を勉強した今だからこそ、改めて枠を取っ払って、遊びながら「こういう流れ、いいな」とか、「これかっこいいな」っていう体験を重ねたいなと。
こういうの、守破離って言うんでしたっけ?破るためにも、遊びは必要なんですね。放牧スタイルでいこうかな。