uenimositanimoza

私のこと、とかそうじゃないこともつらつらと         (不定期)

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最近の記事

noteに書くことがなくなったら父の7回忌がやってきた

なんとも絵本ぽさが感じられる題名になってしまった 毎月27日辺りに書き連ねていたnoteも気がつけば8回目となったがここに来てスランプというのか書くことが何も思いつかなくなってしまって出し切った状態の私がいる 何も書くことがないからこのまま辞めてしまおうかとも思ったけれど、数ヶ月前の私に会いにいくことが出来るnoteは正直めちゃくちゃ面白い なので捻り出してなんか書こうかなと思っていたところ父の7回忌がやってきた ベストタイミングだった ずーーっと前に通っていた塾のお

    • 靴下は左足から

      日常に潜むおまじない、一体幾つ持ち合わせているだろうか 左足から履く靴下 右耳からつけるピアス 同じ種類だけど何となくこれが良いなというスプーン 救急車のサイレンが聞こえた時、親指を隠すこと まつげが抜けた時お願い事をしてからふっと飛ばすこと きっとこうした些細なおまじないが私の日々を支えてくれているのだと思う、信仰とはまた違う私の世界だけで生きている小さな魔法のことを今日も明日も大切にしたい 2024年もだいすきな人の側でこっそりそんな魔法が輝いていることを願

      • 火葬場ではヒトのかたちは出てこない

        この年(22の代)では絶対に話せないテーマ尚且つ自分の中で時々思い出しては謎に満ちているあの場面について 父が亡くなってから次で6年、今でも時々あの火葬場での待合室にいる私に会いに行くことがある といっても覚えていることの方が少なくて記憶が途切れ途切れである 覚えていることは、棺に父のよく来ていたスウェットを入れたことと何枚も綴った手紙を入れたことと、いつも掛けていたサングラスはプラスチック製なので一緒には入れられませんと言われたことだ よくお金はあの世には持っていけない

        • 多分、心の拠り所だった

          2023年9月30日、午前8時51分 5年前に亡くなった父がLINEから退出していた 天国に行ってから1度も返信はなかったけれど時々近況報告したり写真を送っていたトークルームはいつでも連絡が出来るようにとピン留めしていたのですぐに分かった このアカウント、もう父が使っている訳でもないし携帯なんてとっくに解約してるんだから退出なんてLINE本部が使ってないって判断すればそりゃあ当たり前だろうと思うでしょ、その通りなんです でも、多分心の拠り所だったみたい 最近卒論を作成

        noteに書くことがなくなったら父の7回忌がやってきた

          付き合いたい人の条件

          最近、もやーっとすることが多い 常に何かしらもやもやを抱えていないと気が済まない、かつ1つのことをながながと考えすぎてしまう病の私です自覚もちゃんとあります それは内容によって考え出す期間やタイミングが違い、何かあって直ぐに始まる場合もあればそうじゃないこともあるのだ つまり私には人よりセンシティヴなところが多い とはいえそれをもやもやの元になる人やモノに当てつける事はできない臆病なところもありこの気持ちの行き場を失うことがほとんどだ 最近のもやもや 以前書いた、合コ

          付き合いたい人の条件

          乙女ゲーム

          白黒のオセロやチェス、囲碁。 何十手、何百手先を読むその戦いと少し似て非なるものを私は知っている。 乙女ゲームである 今回私が書きたいのはリアル乙女ゲームについてだ、タイトルを変えるとすれば 💖💖💖1度選択を間違えたら即終了⁉︎ハラハラドキドキアルバイトでの1日💖💖💖だと思う 私は以前のnoteで書いたように多岐にわたるアルバイトを経験してきた中で、現在は重度身体障害を抱える方など様々な障害のある方々がのんびり暮らすグループホームで選択の連続に試行錯誤しつつ利用者(

          就活中に出逢った私とカゲ

          影がすき、 色がなくっていろんな私が見える気がするから、 夕焼けが綺麗な日、月がいつもよりいっぱいの光を地球に返している日、蛍光の街灯が照らす暗い夜道、アルバイト帰り、旅行先。 立ち止まるとカゲという私に出逢う、時間帯や場所という背景は違くともそこにいる 色がないからいろんな私をそこに置いて考える 私って何だろう、と これもきっと脳が就職活動へとチャンネルが切り替わったままだからなのだろうか。 ここ半年大学生を職業とする友人はエントリーシートやガクチカ(学生時代に力

          就活中に出逢った私とカゲ

          父と私を繋げるモノ

          と十九の私が綴ったメモが最近見つかった。 結局カトレン(父)を探す旅には出なかった、 別に旅に出なくとも知れると知ったから 私は二〇一七年に父を亡くしており、この文はその父が勤務中に書いていた「コンクリ山」(掻い摘むと介護職と人生でのアレコレ)という短編小説を読み終えてから綴ったものだと記憶されている。 そんな私も気付けば二十二の代、義務教育から数えると学生十六年目を迎えたベテランである。実は最近内定が決まったということもありこれまで考えていた人生の、またその先まで思い

          父と私を繋げるモノ