半死人の奏上

ふざけるな、と申し上げたい。

というのも、「チョッカン」と聞いてすぐに「直感」を思い起こす方の多いことに問題があると思っているからであります。


数年ではあるけれども、教員をやってきて最も大事にしなければならないと感じているものがいわゆる経験であって、世間で「こうこうこういう事例があったから、次はこのように云々」とやるような世界はもうすでに終わっていると感じるわけです。

事例研究はそれとして、やっていただければよろしい。

それで、さらに話を進めて、では生徒の指導にあたっては「チョッカン」を大事にしましょうと展開していくと、どうも言葉を「直感」と捉える方がいるようです。

直感ももちろん大事なのですが、これは、とても危険です。

感覚に寄りすぎている。

数多の経験をもとにはたらく合理的な判断こそ「直観」というものであって、「直感」とは感覚器官のはたらきに寄りすぎているのです。

我々、教員は直感でやっていくわけにはいかないのです。

我々は、これまでの経験を活かし、最大限に理性をはたらかせ、生徒の活動を世間へ押し広げていく一助とならなければならない。

そのためには、直観的でなければならない。


感覚に寄るべきときはそれで良いと思います。

しかし、それではうまくいかない。

感覚は社会通念とは異なります。

平生より、「こうこうこのようにするのがよろしい」とか「これまでの指導によれば、この場合はよろしくない」とか、そういった蓄積のもとに状況を分析し、俯瞰し、生徒を導いていくことが重要なのです。


決して見失われませんように。

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